「青山幸成」の版間の差分
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しかし直後の8月から病に倒れた。寛永20年([[1643年]])1月には第3代将軍・[[徳川家光]]の見舞いを受けたが回復せず、次男の[[青山幸通|幸通]]、三男の[[青山幸正|幸正]]、四男の[[青山幸高|幸高]]にそれぞれ3000石、2000石、1000石を分与して青山3分家を創設した上で、2月16日に死去した。享年59。家督は長男の[[青山幸利|幸利]]が継ぎ、所領は弟に分与したため4万8000石となった。
{{掛川藩主|青山氏||1633年 - 1635年}}
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