「フランチェスコ・グイチャルディーニ」の版間の差分
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'''フランチェスコ・グイチャルディーニ '''(Francesco Guicciardini, [[1483年]][[3月6日]] - [[1540年]][[5月22日]])は[[ルネサンス]]時代の[[イタリア]]の[[フィレンツェ共和国]]の[[歴史家]]
==生涯==
グイチャルディーニは、メディチ派の重臣の一人であった。[[1537年]]に[[フィレンツェ公国|フィレンツェ公]][[アレッサンドロ・デ・メディチ]]が[[暗殺]]されると、グイチャルディーニが中心となってメディチ派による重臣会議を開き、傍系の[[コジモ1世|コジモ・デ・メディチ]]を二代目フィレンツェ公として選出させた。▼
===メディチ派の重臣===
▲グイチャルディーニは、メディチ派の重臣の
===近代歴史学の父===
[[ニッコロ・マキャヴェッリ]]の友人でもあり、著書の「[[フィレンツェ史]]」、「[[イタリア史 (歴史書)|イタリア史]]」は「[[歴史書]]の傑作」と言われ、それゆえグイチャルディーニは「[[近代歴史学]]の父」と呼ばれる。
== 著書・伝記 ==
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