「レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)」の版間の差分

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=== トスカーナ大公時代 ===
[[1765年]]に父フランツ1世が死去した際、皇帝位はヨーゼフ2世が継承したが、[[トスカーナ大公国]]は帝国の領域に含まれず、また他の[[ハプスブルク君主国|ハプスブルク家領]]とは独立して統治することになっており、レオポルトが継承した。レオポルトはトスカーナにおいて[[啓蒙主義|啓蒙的]]改革を行った。[[チェレ・ベッカリーア]]の『[[犯罪と刑罰]]』の死刑廃止論に影響を受け、即位した1765年に死刑の執行を停止し、[[1786年]]にはヨーロッパの国として初めて、死刑そのものを完全に廃止している。
 
[[1790年]]に兄ヨーゼフ2世が死去するが、嗣子がなかったため、レオポルトが帝位を継いだ。その際、長男[[フランツ2世|フランツ]]を帝位継承者とし、トスカーナ大公位は次男[[フェルディナンド3世_(トスカーナ大公)|フェルディナンド3世]]に継がせた。