「チネチッタ (川崎市)」の版間の差分

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|郵便番号=210-0023
|アクセス=[[川崎駅|JR]]・[[京急川崎駅]]から徒歩約5分
|HP=[http://www.cinecitta.co.jp/index_flash.shtml 川崎チネチッタ]
}}
[[画像:LA CITTADELLA Halloween.jpg|thumb|250px|[[ハロウィン]]用装飾、ライトアップ]]
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チネチッタを運営する株式会社チネチッタの親会社である株式会社[[チッタエンタテイメント]]の歴史は長く、[[1922年]](大正11年)に東京日暮里で創業している<ref name="history">{{cite web|url = http://lacittadella.co.jp/info/history.html|title = ラ チッタデッラのヒストリー|work = LA CITTADELLA公式ウェブサイト|language = 日本語|publisher = チッタエンタテイメント |accessdate=2008年5月1日 }}</ref>。創業当時の社名は'''美須興行'''、創業者は美須鐄(チッタエンタテイメントの代表取締役[[美須孝子]]の祖父にあたる)。のちに'''カワサキ・ミス'''と改称<ref name="misu">{{cite web|url = http://www.kawasaki-net.ne.jp/shisaku/genki/1412.htm|title = 株式会社カワサキ・ミス|work = 川崎元気企業紹介|year = 2002|language = 日本語 |accessdate=2008年5月6日 }}</ref>。チネチッタは[[1936年]]頃に川崎映画街の最初の[[映画館]]として『'''[[川崎銀星座]]'''』を開業した<ref name="history"/>。その後、[[1939年]]までの間に川崎に同系列の映画館が6館開業し映画館街を形成した。[[第二次世界大戦]]中に空襲によりほぼ全ての映画館を焼失したが、戦後は川崎銀星座を手始めに映画館街を再建するとともに同一地区内に[[ボウリング場]]なども建設し<ref name="history"/>、かつて[[松竹蒲田撮影所]]があった[[蒲田]]に同一資本が開設した映画館街とともに、それぞれ'''ミスタウン'''(美須の町)と呼ばれていた<ref>蒲田ミスタウンは川崎のラ チッタデッラ同様に単一の建物に収容され、現在は「アスレチッタ蒲田」ビルとなっている。</ref>。
 
[[1987年]]に、これまで別個の建物だった複数の映画館を1つに収容したビルを建設し、チネチッタと改称、現在のシネマコンプレックスに近いものとなった<ref name="Messe2012-10">{{Cite web|author=百瀬伸夫|date=2012-10-15|url=http://messe.nikkei.co.jp/js/column/cat454/114249.html|title=大規模商業施設「ラゾーナ川崎プラザ」に挑む「ラ チッタデッラ」(小さな街)の戦略|work=日経メッセ|publisher=[[日本経済新聞社]]|accessdate=2015-12-01}}</ref>。チネチッタが開館した直後からそう呼ばれていたわけではないが、株式会社チッタエンタテイメントの公式サイトでは「日本初のシネマコンプレックス」としている<ref name="history"/><ref>シネマコンプレックスという言葉は1980年代中盤から一部では使用されているが、現在とは異なり単純に複数のスクリーンを持つ映画館を指して使われていた。現在はマルチプレックスと同義で使われることが多いが法的定義はないため、「日本初」を自称する映画館がいくつか存在する。詳細は[[シネマコンプレックス#歴史|シネマコンプレックス]]の項を参照のこと。</ref>。
 
[[画像:San Gimignano torri 1.jpg|thumb|250px|[[イタリア]]の[[サン・ジミニャーノ]]にあるヒルタウン]]
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改築計画は当初3期を予定していた<ref name="misu"/>。第1期がマッジョーレと[[クラブチッタ]]の建設・移転、第2期がビバーチェの建設、第3期が店舗を有する[[マンション|高層マンション]]の建設となっており、[[六本木ヒルズ]]や[[ラゾーナ川崎プラザ]]のような商業施設と居住区(レジデンス)が同居又は近隣に併設する大規模な複合施設を計画していた。しかし、2014年現在も第2期までで計画が止まっており第3期は着工されていない。3期の予定区画にはフットサルコートが建設されている。
 
なお、川崎には他のシネマコンプレックスが進出しており、[[2003年]][[9月12日]]に[[川崎DICE]]の開業と同時に[[TOHOシネマズ]]川崎(9スクリーン、全1,902席)が、[[2006年]][[9月28日]]には[[ラゾーナ川崎プラザ]]の開業と同時に[[109シネマズ]]川崎(10スクリーン、全1,957席)がオープンした。それにも関わらず、チネチッタは年間動員数、興業収入で、[[2003年]]・[[2004年]]・[[2005年]]・[[2006年]]の4年連続全国第1位となった<ref name="Messe2012-10"/>。また[[2002年]][[11月]]の新装開店から[[2011年]][[1月]]のチネグランデ閉鎖までの間、総座席数が国内最多(13スクリーン、全3,808席)であり、映画館ビルとしても[[有楽町センタービル|有楽町マリオン]](7スクリーン、全4,534席)に次ぐ第2位だった。
 
全国1位の興行収入を記録する映画館であるために東京・大阪の映画館以外では珍しく舞台挨拶などのチネチッタ独自のイベントが催されることが多い。
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== 外部リンク ==
* [http://lacittadella.co.jp/ LA CITTADELLA]公式サイト
* [http://www.cinecitta.co.jp/index_flash.shtml CINECITTA']公式サイト
* {{Twitter|cinecitta_jp|チネチッタ川崎}}
* [http://www.cinema-st.com/amuse/a003.html チネチッタ] - 「港町キネマ通り」サイト内(2001年1月取材のもの)
* [http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_eventnews_20060207a.htm 川崎の「チネチッタ」 観客数・興行収入で3年連続日本一] - YOMIURI ON LINE「ジブリをいっぱい」([[2006年]][[2月7日]])
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[[Category:川崎市の建築物]]
[[Category:川崎区]]
[[Category:1987年開業の施設]]