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==== バクティ・ヨーガ ====
{{Main|ヨーガ}}
[[画像:Ramakrishna_at_studio.jpg|thumb|200px|ラーマクリシュナ]]
バガヴァッド・ギーターの第7章の冒頭で、絶え間ない、愛情のこもった、神の記憶からなる礼拝の一様式であるバクティについて説明される。信仰(スラッダ)とチョイスした最愛の神(イシュタデーヴァター)への全面的な恭順がバクティの重要な一面であると考えられている<ref>{{harvnb|Fowler|2012|page=xlii}}</ref>。神学者キャサリン・コーンニール(Catherine Cornille)は、バガヴァッド・ギーターは「知識による解脱(ギャーナ)、行為による解脱(カルマ)、神への愛による解脱(バクティ)といった違った修行法の概観を提供し、そして最も手軽かつ崇高な解脱への道として後者のバクティ・ヨーガに力点を置いている」と記している<ref>{{harvnb|Cornille|2006|page=2}}</ref>。
バガヴァッド・ギーター学者のサンパットクマラン(M. R. Sampatkumaran)はラーマーヌジャのバガヴァッド・ギーターに寄せた注釈書の要約にて「聖典に記されている知識それだけでは最終的な開放までは導かれないというところに要点がある。帰依、瞑想、崇拝が不可欠なのだ<ref>{{harvnb|Sampatkumaran|1985|page=xxiii}}</ref>」と記している。[[ラーマクリシュナ]]は、ギーターを数回繰り返して言うことでギーターの本質的なメッセージが見えてくると語る<ref>{{harvnb|Isherwood|1965|page=2}}</ref>。「『ギーター、ギーター、ギーター』するとすぐに『ターギー、ターギー、ターギー』と聞こえてくるだろう。『ターギー』は『神のために全てを放棄した人』という意味になる」以下の句にてクリシュナはバクティの重要性を明瞭に語っている。