「田北鑑生」の版間の差分
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義鎮が当主になると加判衆となり、[[筑前国]]の方分となりる。さらに大友晴英([[大内義長]])が大内氏当主として迎えられる頃には加判衆筆頭となっている。 [[弘治 (日本)|弘治]]2年([[1556年]])の[[小原鑑元]]の反乱や翌3年([[1557年]])の[[秋月文種]]の討伐にも参加し、秋月攻めでは大功をたてたとされる。その後、[[筑後国]]の方分として現地に留まる。
永禄4年(1561年)
{{DEFAULTSORT:たきた あきなり}}
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