「ジルベルト・ゴドイフィリョ」の版間の差分

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ナショナルチームでは、スピードのあるレフトの平行トスと抜群の守備力を武器に[[2000年代]]のブラジルバレー黄金期の中心選手として活躍し、通算308試合に出場。[[アテネオリンピック (2004年) におけるバレーボール競技|2004年アテネオリンピック]]で[[金メダル]]を獲得するとともに、[[最優秀選手|最優秀選手賞]]を受賞。また、金メダルを獲得した[[2006年バレーボール世界選手権|2006年世界選手権]]、[[2006年バレーボール・ワールドリーグ|同年ワールドリーグ]]、[[2007年ワールドカップバレーボール|2007年ワールドカップ]]においても最優秀選手賞を受賞した。その後キャプテンとしてチームを牽引し[[北京オリンピックにおけるバレーボール競技|2008年北京オリンピック]]に出場したが、ジバの不調もあって決勝で[[バレーボールアメリカ合衆国男子代表|アメリカ]]に敗れて銀メダルに終わった。
 
その後再びキャプテンとして[[2009年ワールドグランドチャンピオンズカップ]]に出場しチームの中心として活躍して優勝、大会2連覇を成し遂げた。その後[[2010年バレーボール男子世界選手権]]に出場して大会3連覇を成し遂げたが、ジバがコートに立つことは殆どなかった。しかし、怪我をしながら決勝で最後までトスを上げ続けた[[ブルーノ・レゼンデ]]監督を試合後讃えるなどチームの精神的支柱として活躍した。
 
2012年8月の[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるバレーボール競技|ロンドンオリンピック]]でも2大会連続の銀メダルに終わってしまった。