「2ストローク機関」の版間の差分

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m →‎2ストロークガソリンエンジン: エスティマの不幸はそこまでこだわって書く必要はないでしょう
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構造が簡単で軽量な為、小型にすることができるわりに大きな出力が得られるが、掃気効率が悪く[[排気ガス]]に含まれる[[生ガス]]が多く、[[エンジンオイル]]が[[燃料]]と一緒に[[燃焼]]してしまうことから、排気ガスに混ざるオイルの量も4ストローク機関に比べて多くなりがちである。
 
その為、西ヨーロッパおよび日本の[[普通自動車]]及び[[小型自動車]]では4ストロークエンジンの性能が向上してきた[[1960年代]]後半には殆ど姿を消しており、排気量が小さな日本の[[軽自動車]]においても、[[自動車排出ガス規制]]が日本国内で開始([[昭和48年排出ガス規制]])された[[1973年]]([[昭和48年]])ごろより、360ccの4ストロークエンジンへの移行が始まり、日本版[[マスキー法]]と呼ばれた[[1975年]]の[[昭和50年排出ガス規制]](識別符号A-またはH-)、[[1976年]]の[[昭和51年排出ガス規制]](識別符号C-、商用のみH-)の頃には、[[ダイハツ工業|ダイハツ]]と[[スズキ (企業)|スズキ]]を除く全メーカーが550ccの4ストロークエンジンへの移行を完了した。マスキー法の規制値を完全達成した[[1978年]]の[[昭和53年排出ガス規制]](識別符号E-)以降は、スズキのみが規制に適合した車両を製造していた。
 
* ダイハツの軽商用車[[ダイハツ・ハイゼット|ハイゼット]]は[[1981年]]まで360ccの[[ダイハツ・ZM型エンジン|ZM型]]搭載車を販売した。1975年以降は昭和50年規制に適合。ダイハツの場合は出力のためと言うよりも、360cc規格時代の軽限定免許のドライバーの救済策という意味合いが強かった。軽限定免許では1976年以降の550cc規格軽自動車の運転は認められないため、当時50万人程いたといわれる軽限定免許ユーザーのために1981年8月まで継続生産されることとなった。
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新たな2ストロークガソリンエンジンの模索が続いてはいる。
* [[モーターショー]]において、[[BMW]]や[[トヨタ自動車|トヨタ]]は何度か2ストロークエンジンを搭載した自動車(ときにはエンジンのみ)を出品している。初代[[トヨタ・エスティマ]]も参考出品車として公開された当初コンセプトは、当時トヨタが開発中であった2ストローク「S2」エンジンを搭載した新時代のMPV(マルチパーパスビークル)というものであった。このエンジンによってコンパクトなアンダーフロアエンジン方式採用が図られたが排ガス対策を解決できず、市販された初代エスティマは制約の中で4ストローク4気筒エンジン搭載、その結果、大柄なボディに比してエンジンが非力との不評を被ったため、不幸なモデルライフを送ることになってしまった。
**この種の新世代試作2ストロークエンジンは、旧弊なクランクケース圧縮による掃気ではなく、[[ユニフロー掃気ディーゼルエンジン]]と同様に動弁機構と[[スーパーチャージャー]]を備えている。潤滑は4ストローク同様で潤滑油の燃焼は無く、燃料供給も[[ガソリン直噴エンジン|筒内直噴]]を試行するなど、省燃費でクリーン、しかもパワフルなエンジンを目指しているが、市販化の水準には至っていない。