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'''カーペンターズ''' ({{lang-en-short|'''Carpenters'''}}<ref name="35thanniversary">'''The Carpenters'''と表記されることが多いが、正式には単に'''Carpenters'''の表記が正しいCarpenter, Richard (2004). Album notes for ''The Carpenters Gold: 35th Anniversary Edition'' by The Carpenters. A&M Records. [http://musicbrainz.org/release/bcc87110-9bbe-447f-81bf-69e828436508.html The Carpenters Gold: 35th Anniversary Edition] at [[MusicBrainz]].</ref>) は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の兄妹[[ポピュラー音楽|ポップス]]・[[デュオ]]。楽器を兄のリチャードが受け持ち、ヴォーカルを妹カレンが担当。ロック全盛の1970年代において独自の音楽スタイルを貫き、大きな成功を収めた<ref name = "billboard">{{cite web |url= http://www.billboard.com/bbcom/bio/index.jsp?pid=4243|title= Billboard - The Carpenters Biography|accessdate=2007-12-28 |last= Erlewine|first= Stephen Thomas|work= Billboard|archiveurl=https://archive.is/4dYE|archivedate=2012-12-09}}</ref><ref name = "webbio">{{cite web| url = http://www.richardandkarencarpenter.com/biography.htm| title = Carpenters Biography 2005| accessdate = 2007-11-30| author = Carpenter, Richard| year = 2005| work = The Carpenters Official Website| pages = 1-10}}</ref>。[[1983年]]のカレンの死により活動を終えた。
 
代表曲に「[[遥かなる影]]」、「[[雨の日と月曜日は]]」、「[[スーパースター (デラニー&ボニーの曲)|スーパースター]]」、「[[イエスタデイ・ワンス・モア]]」、「[[トップ・オブ・ザ・ワールド (カーペンターズの曲)|トップ・オブ・ザ・ワールド]]」、「[[プリーズ・ミスター・ポストマン]]」等がある。
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=== カーペンターズ ===
1969年4月22日、リチャードとカレンは「カーペンターズ」名義でA&Mレコードとの契約を結んだ。当時の州法で19歳のカレンは未成年者だったため、両親も署名した<ref name = "webbio" /><ref name="cr76">{{Harvnb|Coleman|1994|p=76}}</ref>。兄妹はあえて定冠詞 "The" の付かない "Carpenters" を契約上の名義とすることに決めた("The Carpenters" は「カーペンター兄妹」ないし「カーペンター家」を意味するが、 "Carpenters" だけでは「大工たち」の意味になる)。その理由についてリチャードは、2004年に発売された ''"[[:en:Gold: 35th Anniversary Edition|Gold: 35th Anniversary Edition]]"'' のライナーノーツにおいて、[[バッファロー・スプリングフィールド]]や[[ジェファーソン・エアプレイン]]のように、「ザ・~~ズ」ではないバンド名のほうがかっこいいと思ったからだと述べている<ref name="35thanniversary"/>。
 
A&Mレコードとの契約において、リチャードとカレンはスタジオ内での自由を与えられた<ref name="mpi"/>。『[[涙の乗車券 (カーペンターズのアルバム)|オファリング]]』と題されて1969年にリリースされた彼らの最初のアルバムには、リチャードがスペクトラム時代に作曲ないし共作した楽曲もいくつか収録されている<ref name="offering">Carpenter, Richard (1969). Album notes for ''Ticket to Ride'' by The Carpenters. A&M Records. [http://musicbrainz.org/release/af34b180-66f3-42e6-bfe4-134bd038999f.html Ticket to Ride] at [[MusicBrainz]].</ref>。このアルバムにおける人気曲は、ビートルズのヒット曲をバラード風にアレンジした「[[涙の乗車券]]」で、[[ビルボード]]・ホット100で最高54位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでトップ20位入りするなど、まずまずのヒットとなった<ref name="cr81">{{Harvnb|Coleman|1994|p=81}}</ref><ref name="allmusic">[http://www.allmusic.com/artist/carpenters-mn0000051909 Allmusic]</ref>。この曲の成功を受けて、『オファリング』は1970年に『[[涙の乗車券 (カーペンターズのアルバム)|涙の乗車券]]』へと題名を変えて再発された。
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彼らの功績の1つとして数えられることは少ないが、カーペンターズはアメリカでは最も早く自分たちのレコードの宣伝のためにミュージック・ビデオを制作したグループの1つである。1975年の初めに、彼らはディズニーランドで「プリーズ・ミスター・ポストマン」の演奏を撮影しているほか、「オンリー・イエスタデイ」をハンティントン・ガーデンで収録しているが、ここでのカレンは健康で調子良さそうに見える。しかし、1年後に撮影した「見つめあう恋」のビデオに出演した時には目に見えて違いが現れるようになっていた。
 
1977年から1979年にかけてディスコ・ブームの真只中であり、カーペンターズや[[ジョン・デンバー|ジョン・デンヴァー]]ら大人向けの「イージー・リスニング」のアーティストは、ラジオなどで放送される機会がやや減りつつあった。1977年にリリースされたカーペンターズの実験的なアルバム『[[パッセージ (カーペンターズのアルバム)|パッセージ]]』は、他の音楽ジャンルへ挑むことによって、より多くの層へ訴えかけようとする試みであったが、[[ラテン音楽]](「一人にさせて」)、[[カリプソ (音楽)|カリプソ]](「恋の強がり」)、ポップ・ソング(「想い出にさよなら」、「あの日、あの時」)という不釣合いな混ぜ合わせに、「ふたりのラヴ・ソング」(アダルト・コンテンポラリー・チャート4位)、「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」といったヒット曲を抱き合わせたというものである。最も有名な曲、ミュージカル『[[エビータ (ミュージカル)|エビータ]]』から取られた「月影のバルコニー泣かないでアージェンティーナ」や[[クラトゥ]]の「星空に愛を」などのカヴァーはいずれも合唱とオーケストラによる伴奏が加えられた。シングル「星空に愛を」はイギリスではヒットしたが、アメリカのポップ・チャートでは32位止まりとなり、カーペンターズとしては初めてゴールド認定となる50万枚の売り上げに達することのなかったアルバムとなった<ref name="cr231">{{Harvnb|Coleman|1994|p=231}}</ref>。
 
リチャードは『パッセージ』収録曲の「想い出にさよなら」は、きっとヒットすると感じていたため、A&Mにシングルでのリリースを決断させた。この曲は[[アン・マレー]]のシングルとして発売され、1979年のアダルト・コンテンポラリーおよびカントリー・チャートの両方で1位を獲得し、リチャードの感性の正しさを証明した。カーペンターズによる「ふたりのラヴ・ソング」と「星空に愛を」のミュージック・ビデオがDVD ''"[[:en:Gold: Greatest Hits|Gold: Greatest Hits]]"'' で観ることができる。
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=== カレンの突然の死 ===
ニューヨークの病院での2月以上にわたる治療を経て、カレンは30ポンド(13.6キログラム)以上も体重を戻したが、急激な体重の増加は、長年の無理なダイエットですでに弱っていた彼女の心臓に、さらなる負担をかけてしまった。1983年の2月4日の朝、カレンはダウニーの両親の家で心肺停止状態に陥ってダウニー・コミュニティ病院に運ばれるが<ref>[http://www.drmci.org DRMCI.org]</ref>、それから20分後に死亡が確認された。彼女はその日、離婚届へ署名するつもりであったという。
 
検死によると、カレンの死因は[[神経性無食欲症]]に起因する[[エメチン]]の心毒性であった。解剖学的な結論としては、心臓麻痺が第1の原因で、拒食症は第2の原因であった。第3に挙げられるのが[[悪液質]]で、これは負担や衰弱としては非常に軽いもので、慢性的な疾患と関連した一般的な体の衰えというべきものであった<!-- ここは何となく誤訳っぽい。医学的文脈に強い人の修正求む -->。エメチンの心毒性が死因であったことは、カレンが当時は簡単に入手できた薬である吐剤(誤って毒物を摂取してしまった人が即座に嘔吐できるようにするためのもの)を悪用していた可能性を示唆したが、明確な証拠はない<ref name="cr21-24">{{Harvnb|Coleman|1994|pp=21-24}}</ref>。
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== プロモーション活動とツアー ==
1969年の最初のアルバム『オファリング』に対するレヴューはあまり芳しいものではなく、カーペンターズのスタートは順調なものではなかったが、2人は[[バート・バカラック]]の前座として自分たちのプロモートに励んだ<ref>[http://www.onamrecords.com/Carpenters.html onamarecords.com]</ref>。1974年の[[ラスヴェガス]]のホテル[[リヴィエラ (ホテル)|リヴィエラ]]におけるコンサートのときに、リチャードはそのいきさつについて説明した。映画『ハロー・ドリー!』封切り後のベネフィット・ディナーの際にバカラックの方から彼らの元を訪れて、後日行われるバカラックのディナー・ショーの前座をやってみないかと誘ったのである。このときにバカラックは自分の曲をどれでもいいからメドレーにして歌ってみろとの要求を出した<ref name="Reader's Digest">{{cite video |people= Richard Carpenter, Karen Carpenter|year2= 1997|title= Burt Bacharach Medley (Live Version)|medium= CD Box Set|work= Reader's Digest Collection: Their Greatest Hits and Finest Performances|publisher= Reader's Digest|accessdate=2007-12-28 |time= 0:00-14:39}}</ref>。カーペンターズは2月をかけて8曲のメドレーをまとめ上げた<ref name="Reader's Digest"/>。このメドレーは全部で13分近くあったものを5分に短縮した上で1971年のアルバム『カーペンターズ』に収録された<ref name="Reader's Digest"/>。
 
カーペンターズはコンサート・ツアーやテレビ出演などの過密なスケジュールをこなしていった。彼らが出演したテレビ番組には『[[エド・サリヴァン・ショー]]』<ref name="edsullivan">{{cite video |people= Ed Sullivan, The Carpenters|date2=1970-10-18|title= Ed Sullivan's Rock 'n' Roll Classics: Chart Toppers, Volume 2||medium= DVD|location= The Ed Sullivan Theatre|accessdate=2007-12-28}}</ref>や[[ジョニー・カーソン]]司会の『[[ザ・トゥナイト・ショー]]』<ref name="tsjc">{{cite web |url= http://www.imdb.com/title/tt0726782/|title= The Tonight Show Starring Johnny Carson|accessdate=2007-12-29 |work= Internet Movie Database}}</ref>、『キャロル・バーネット・ショー』( ''"[[:en:The Carol Burnett Show|The Carol Burnett Show]]"'' 、1971年および1972年)、『マイク・ダグラス・ショー』( ''"[[:en:The Mike Douglas Show|The Mike Douglas Show]]"'' 、1971年)<ref>{{YouTube|AOBTNL-nN4k|The Carpenters and WRC bumper 1971}}</ref>などがあり、『[[ジョニー・キャッシュ]]・ショー』( ''"[[:en:The Johnny Cash Show (TV series)|The Johnny Cash Show]]"'' 、同じく1971年)では「ふたりの誓い」と「雨の日と月曜日は」を演奏した<ref>{{YouTube|SQ1NtnvdlAo|The Carpenters On The Johnny Cash Show}}</ref>。BBCのテレビ特番 (''"[[:en:Carpenters: Live at the BBC|Carpenters: Live at the BBC]]"'') では生演奏を披露している。彼らはまた夏の間だけのシリーズ番組 ''"[[:en:Make Your Own Kind of Music (TV series)|Make Your Own Kind of Music]]"'' で主演を務め、アメリカでは毎週火曜日の午後8時に[[NBC]]で放送された。1980年のラジオでのインタビューでカレンとリチャードのいずれもが、1970年代初めのテレビとの関わりにおいて自分たちはつけ込まれ利用されていたこと、その後の作品を制作してゆく上での支配権を握られそうになっていたことなどを述べている<ref>[http://www.thecarpenters.tv/ thecarpenters.tv]</ref>。
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== グラミー賞受賞歴 ==
1970年代を通じて、リチャードとカレンはグラミー賞に何度もノミネートされている。リチャードはインストゥルメンタル曲『フラット・バロック』 (''"[[:en:Flat Baroque|Flat Baroque]]"'') によって、個人でもノミネートされた<ref name="newsletter">Wallace, Evelyn (1973). The Carpenters' Official Fan Club Newsletters, Issue #26. June, 1973.</ref>。2人はグラミー賞を3度受賞し、2曲が殿堂入りを果している<ref name="grammyhalloffame">[http://www.grammy.org/recording-academy/awards/hall-of-fame Grammy Hall of Fame]</ref>。
 
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== 脚注 ==
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== 参考文献 ==