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}}{{Portal クラシック音楽}}
'''バンベルク交響楽団'''({{lang-de|'''Bamberger Symphoniker- – Bayerische Staatsphilharmonie'''}})は、[[ドイツ]]・[[バイエルン州]][[バンベルク]]に本拠を置く[[オーケストラ]]である。
== 歴史 ==
前身は、[[1940年]]に[[チェコスロバキア]](当時は[[ナチス・ドイツ]]支配下の[[ベーメン・メーレン保護領]])のドイツ系住民によって創立された'''プラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団'''(({{lang|de|Deutschen Philharmonischen Orchesters Prag}}))である。同楽団は、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]の推薦で、[[ヨーゼフ・カイルベルト]]を首席指揮者に迎えて活動していた。
ドイツの敗戦後の[[1945年]]、チェコからドイツへ逃れた([[ドイツ人追放]])同楽団の楽団員が集結して本楽団を創立した。[[1946年]][[3月16日]]、「'''バンベルク・トーンキュンストラー管弦楽団'''」(Bamberger Tonkünstlerorchester)として第1回演奏会を開いたが、同年6月1日、「'''バンベルク交響楽団'''」に改称した。1947年、[[ハンス・クナッパーツブッシュ]]が客演し、1948年には[[オーストリア]]、1949年には[[パリ]]に演奏旅行をした。1949年、カイルベルトを首席指揮者に迎えた。1968年、カイルベルトが急逝した後、[[オイゲン・ヨッフム]]が[[顧問|芸術顧問]]を務めた。1973年、[[イシュトヴァン・ケルテス]]の首席指揮者就任が決定されたが、ケルテスは就任前に急逝してしまい、しばらく首席指揮者不在だった。1979年にジェームズ・ロッホランが首席指揮者に就任したが、録音ではヨッフムが中心だった。その後[[ヴィトルド・ロヴィツキ]]、[[ホルスト・シュタイン]]とつないで[[2000年]]から[[ジョナサン・ノット]]を首席指揮者に迎えている。シュタイン時代の[[1993年]]に「'''バイエルン州立フィルハーモニー'''」(({{lang|de|Bayerische Staatsphilharmonie}}))の呼称が加えられている。
近年、[[1982年]]のヨッフムとの来日公演のライブ[[録音]]がは、[[コンパクトディスク|CD]]・[[DVD]]化され好評を博している。ドイツの地方小都市を拠点とするオーケストラとしては、古くから名指揮者に恵まれたことと、積極的な録音や演奏旅行によって、もっとも国際的に有名な団体である。
本拠地は1993年に新築されたバンベルク・コンサート・コングレス・ホール (Konzert(Konzert- und Kongresshalle Bamberg) Bamberg)である<ref>コンサートホールは2008年に[[豊田泰久]]の音響設計により改修されている。</ref>。1993年までは[[ドミニコ会]]修道院であるドミニカナーバウが使用されていた。ドミニカナーバウでは、コンサートや録音セッションが行われる度たびに騒音対策として、付近の交通規制が行われていた。
== 首席指揮者 ==
* [[ジョナサン・ノット]](2000年 - )
== 注釈 ==
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[[Category:バンベルク]]
[[Category:ズデーテン・ドイツ人]]
[[Category:バイエルンの文化]]
[[Category:バイエルンの組織]]
[[Category:Category:プラハの歴史]]
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