「アヒム・フォン・アルニム」の版間の差分

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1809年からベルリンに在住。[[ハインリヒ・フォン・クライスト]]も加わり「ベルリン夕刊紙」(''Berliner Abendblättern'')を発刊。1811年にドイツ晩餐会(Deutsche ''Tischgesellschaft'')、後の政治的な会合になるキリスト教的ドイツ談話会(''Christlich-deutsche Tischgesellschaft'')を結成。1813年の10月から1814年の2月まではドイツ日刊紙「プロシア特派員」の編集者になる。これによりプロシアの愛国者たち([[アダム・ミュラー]]、[[フリードリヒ・フーケ]])らと交友を持つ。
 
1814年から逝去するまでは多くをヴィーパードルフの宮廷で過ごす。たくさんの詩や劇作や論文や物語や雑誌と、ベルリン時代の自発的な出版物でもって宮廷作家、隠遁者として過ごしてい。<!--(という意味だとおもう。)--> 
 
 
1831年、自身が50歳になる直前に同宮廷で没している。