「森内壽春」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
50行目:
{{by|2010年}}の[[第37回社会人野球日本選手権大会|日本選手権]]の東北予選では[[七十七銀行硬式野球部|七十七銀行]]の[[小林敦 (野球)|小林敦]]と延長17回を投げ合い、お互いに完投して0対0で引き分け[[再試合]]となった<ref>毎日新聞、2010年9月21日付朝刊、宮城地方面</ref>。この試合で215球を投げたが、さらに翌日の再試合でも[[リリーフ]]登板してチームを日本選手権出場に導いている。{{by|2011年}}は[[東日本大震災]]の後およそ2ヶ月は社業に専念し、その後は[[バス代行|代行バス]]の案内業務の合間などに練習を続けた<ref>毎日新聞、2011年8月24日付朝刊、宮城地方面</ref>。同年の[[第82回都市対抗野球大会]]では、[[プロ野球ドラフト会議]]直前に行われた1回戦の対[[三菱日立パワーシステムズ横浜硬式野球部|三菱重工横浜]]戦([[10月24日]])で史上2人目となる[[完全試合]]を達成しドラフト候補に急浮上した<ref name="nikkann_20111025"/><ref>[http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/news/20111024k0000e050074000c.html 毎日新聞、2011年10月25日付朝刊]</ref>。
 
[[2011年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2011年のプロ野球ドラフト会議]]で[[北海道日本ハムファイターズ]]より5位指名を受け<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/28/kiji/K20111028001908720.html スポニチ、2011年10月28日付朝刊]</ref>、入団した。背番号は47
===プロ入り後日本ハム時代===
'''{{by|2012年}}'''
:オープン戦では、7試合に登板して無失点。この好成績で開幕一軍の座をつかむと、[[4月3日]]の[[オリックス・バファローズ]]1回戦([[札幌ドーム]])でプロ初登板を果たした。テンポの良い投球で次第に使われる場面が増え、4月・5月は防御率0点台と大活躍。その後8月中旬までは安定感ある投球で46試合の登板で防御率1.91と好調だったが、夏場に入ると疲れからか打ち込まれることが増え、最終的には防御率4点台で終了した。それでも[[宮西尚生]]・[[増井浩俊]]に次ぐチーム3位タイの56試合に登板し、中継ぎ陣の一角として3年ぶりのリーグ1位突破・[[2012年の日本シリーズ|日本シリーズ]]進出に大きく貢献した。なお、[[9月17日]]のオリックス戦(札幌ドーム)ではプロ初先発も経験。[[2012年の日本シリーズ]]では、第1戦と第5戦に救援で登板し、第5戦で[[長野久義]]に対して報復とも取れる[[死球]]<ref>この試合では、日本ハムの中継ぎ[[多田野数人]]が打者[[加藤健 (野球)|加藤健]]に投じた球が、バットに当たっていたにも拘らず巨人の[[原辰徳]]監督の抗議によって判定が[[ファウルボール]]から[[死球]]に変更され、多田野が[[危険球|危険球退場]]となっていた。</ref>を与え球場は一時騒然となった<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/51989/ 東スポweb、2012年11月02日]</ref>。
60行目:
:春季キャンプ前の[[1月]]に、JR東日本東北時代の先輩投手・[[攝津正]]([[福岡ソフトバンクホークス]])との合同自主トレーニングを敢行<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131228-1236976.html|title=日本ハム森内3年目の復活へ“摂津塾”で学ぶ|publisher=日刊スポーツ|date=2013-12-28|accessdate=2014-5-22}}</ref>。春季キャンプからオープン戦の終盤まで一軍に帯同していたが、シーズン最初の一軍登録は[[4月19日]]にまで持ち越された<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140419-1287686.html|title=日本ハム 吉川ら抹消、谷口ら登録|publisher=日刊スポーツ|date=2014-4-19|accessdate=2014-5-22}}</ref>。登録後は、公式戦4試合に救援で登板するとともに、無失点を続けていた。しかし、[[5月10日]]のオリックス戦([[ほっともっとフィールド神戸]])で6回裏の途中から登板したところ、[[エステバン・ヘルマン]]との対戦中に右肘の違和感を訴えて緊急降板。降板後の精密検査で右肘内側側副靱帯の機能不全が判明した<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140510-1298800.html|title=緊急降板の日本ハム森内、右ひじ靱帯損傷|publisher=日刊スポーツ|date=2014-5-10|accessdate=2014-5-22}}</ref>ため、[[5月28日]]に患部の再建手術([[トミー・ジョン手術]])を受けた<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140528-1308467.html|title=日本ハム森内手術終了「リハビリ頑張ります」|publisher=日刊スポーツ|date=2014-5-28|accessdate=2015-11-6}}</ref>。
'''{{by|2015年}}'''
:前年に手術した右肘のリハビリを経て、[[イースタン・リーグ]]公式戦17試合の登板で防御率0.55を記録したため、[[7月31日]]に約1年2ヶ月振りの出場選手登録<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1515767.html|title=日本ハム森内ケガ完治見せつける 今季初一軍に意欲|publisher=日刊スポーツ|date=2015-7-31|accessdate=2015-11-6}}</ref>。しかし、一軍公式戦で2試合の登板にとどまった末に、[[10月23日]]に球団から[[戦力外通告]]を受けた<ref>{{cite news|title=日本ハム森内戦力外「プロで前へ」とトライアウトへ|url =http://www.nikkansports.com/baseball/news/1556442.html|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-10-23}}</ref>。なお、通告後の[[11月10日]]には、[[打撃 (野球)#練習方法|シートバッティング]]形式の[[12球団合同トライアウト]]([[草薙球場]])に参加。対戦した打者3人のうち、先頭打者・[[林崎遼]]から空振りで三振を奪ったが、残り2人から二塁打を含む2安打を浴びた<ref>{{cite news|title=2015年合同トライアウト速報|url =http://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-11-10}}</ref>。[[12月18日]]に現役引退を表明<ref>[http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20151218-OHT1T50188.html 【西武】日本ハム引退の森内、打撃投手での契約発表]スポーツ報知(2015年12月18日)</ref>
===現役引退後===
引退表明の際に、[[埼玉西武ライオンズ]]の[[打撃投手]]へ就任することが球団から発表された<ref>[http://www.sanspo.com/smp/baseball/news/20151218/lio15121819270001-s.html 日本ハム自由契約の森内、西武の打撃投手に]サンケイスポーツ(2015年12月18日)</ref>。背番号は03
 
== プレースタイル・人物 ==