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[[東京都]][[文京区]]生まれ<ref>書籍『彦龍のノリヒコさん』掲載のプロフィールより。</ref>。[[1989年]]から[[2010年]][[1月31日]]まで、東京都文京区[[千駄木]]で「'''ラーメン彦龍'''」(ラーメンひこりゅう)の店主を務め、「'''日本一まずいラーメン屋'''」としてテレビなどのマスメディアに紹介された。愛称は「'''彦龍の憲彦さん'''」。趣味は[[パチンコ]]。
==略歴==
奇抜な人柄とラーメンの味から、『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』や『[[神出鬼没タケシムケン]]』など、多数の[[バラエティ番組]]でも取り上げられた。来店した有名芸能人とのツーショット写真も数多く存在し、店内に飾られてい
 
ラーメンの味は『タケシムケン』に出演した際、司会の[[ビートたけし]]に「流しに[[キムチ]]を捨てたみたいな感じだな」と評されており、後述の[[ピョコタン]]執筆による[[漫画]]では「ピョコタンと共に食した出版社の社員が翌日、会社を休んだ」というエピソードが紹介されたことがあるほど、最早料理と言うのもおこがましいまでの強烈な不味さである。また、そのあまりの不味さから、二度とラーメンを食べられなくなるほどのトラウマになった人もいたと言う。
 
しかも、調理場の衛生管理や食材の管理(何と、大半の食材を常温保存していた)、挙句は調理までもがことごとく適当(「ガス代がもったいねぇ」とスープを殆ど煮込まない、餃子を強火で焦がしただけなど)で、後述のブログにもそういった様子をたびたび掲載してい
 
2009年春、体力の衰えから2010年を目処に引退を決意。同時に後継者を募った<ref>『ゲームラボ』2009年5月号</ref>が応募がなかったため、同年11月に引退会見を開き正式に閉店を発表<ref>『ゲームラボ』2010年1月号</ref>した。引退発表と引退会見はともに『[[ゲームラボ]]』([[三才ブックス]])連載の『[[ピョコタンのマンガレポート]]』で公開された。なお、店舗は2010年1月31日をもって閉店した。
 
引退後自身が経営していた店舗は全て引き払い、晩年はほぼ毎日行きつけの西日暮里のパチンコ店で趣味であるパチンコに興じるかたわら、[[ピョコタン]]とともに[[ニコニコ生放送]]上において自らの番組[[ヒコラジ]]をスタート。
ファンとの交流”イメント”も毎年数回開催されてい
また、[[ツイッター]]、[[Facebook]]も始め新たな境地を切り開いてい。※(管理人は原の知人が務めていた)
 
「2015年8月15日午前9時、自宅内で心肺停止の状態で倒れているところが発見され、病院に搬送されるも死亡が確認された。