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Yasumi (会話 | 投稿記録)
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近代[[金融]]制度の基盤がないまま[[欧米]]や日本の[[資本主義]]の影響を受けた[[李氏朝鮮]]では、[[1884年]]以後日本の[[第一銀行]]韓国総[[支店]]([[1878年]]設立)に[[関税]]収入の管理を[[委託]]し、やがてそれを[[担保]]にして同銀行からの[[融資]]を受けるようになった。[[1902年]]以降[[大韓帝国]](李氏朝鮮が[[1897年]]に改称)で[[第一銀行券]]を発行して、それを韓国の公用[[紙幣]]として流通させる権利を得て、事実上の[[中央銀行]]となった。
 
[[第一次日韓協約]]により[[目賀田種太郎]]が韓国の財務[[顧問]]につくと、民間銀行に過ぎない第一銀行が外国の[[中央銀行]]業務を行っている事を問題視して[[韓国統監]][[伊藤博文]]相談した結果、。[[桂太郎]]ら[[韓国併合|日韓併合]]に積極的な[[山県有朋|山県閥]]、第一銀行を経営する[[渋沢栄一]]と伊藤との調整の結果、併合直前の[[1909年]]に大韓帝国政府、日本[[皇室]]、韓国皇室および個人から[[資本金]]により設立された韓国銀行条例(韓国法)に基づく中央銀行・'''韓国銀行'''が設立されて、第一銀行から中央銀行業務を移管した。その韓国銀行は併合後の[[1911年]]には朝鮮銀行法(日本法)に基づく特殊銀行として朝鮮銀行と改称された。
 
なお、日韓併合時に、[[日本銀行券]]を朝鮮にも流通させようという意見が有力であったが、[[元老]]で財政通として知られていた[[松方正義]]が、「朝鮮経済の不安定さがそのまま内地に影響するのはまずい」との見解を示したことから朝鮮銀行券を発行することになったという<ref>多田井喜生『朝鮮銀行 <small>ある円通貨圏の興亡</small>』(PHP新書、2002年)P71~73</ref>。