「強制徴募」の版間の差分

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+イギリス海軍への入隊と退役
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先述の3者とも、高い脱走率に対策を講じる必要があった。18世紀の中ごろには、海軍艦船からの脱走率は[[志願兵]]も強制徴募兵もほとんど変わらず約25%であった。時間を追ってみると、脱走率は徴募直後は高く、数か月の航海を経ると大きく低下し、1年経つ頃にはたいてい無視できるほどになった。海軍の賃金は月単位か年単位の後払いだったからである。脱走は船の仲間を捨てることになるばかりでなく、すでに稼いだ多額の賃金をふいにすることを意味した。また艦に拿捕賞金が支払われていた場合、脱走してしまえば賞金の分け前にあずかることもできなくなるのである。
 
脱走防止策の一つとして、英国海軍では寄港地での上陸休暇が無く、乗組員は契約期間中は常時監禁同然だった{{sfn|篠原 |1983|pp=225-226}}。休暇がないことは乗組員の大きな不満のひとつであり、時には[[反乱]]の原因にもなった。艦長の中には許可を与える者もいたが、並外れた信頼関係がない限り少なからず脱走者は発生した{{sfn|篠原 |1983|pp=225-226}}。この慣習は強制徴募の無くなる19世紀初頭まで続いた。
 
==強制徴募隊と海上での強制徴募==