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'''ビアンカ・ランチア・ダリアーノ''' (Bianca Lancia d'Agliano, [[1200年]] - 1244/46年)は、[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]の愛妾。[[ピエモンテ]]貴族ランチア(ランチャ)家の出身。ベアトリーチェ・ランチャ(Beatrice Lancia)とも呼ばれる。
 
1225年、アリアーノ([[アスティ]]近郊、現在の[[アリアーノ・テルメ]])でおこなわれたフリードリヒと[[エルサレム王国|エルサレム女王]][[ヨランドイザベル2世 (エルサレム女王)|ヨランド]]の結婚式で、フリードリヒはビアンカと出会った。彼はビアンカを愛妾とし、彼女が亡くなる数日前に正式に結婚したと言われている。2人の間には、コンスタンツァ(1230-1307、[[ニカイア帝国]]皇帝[[ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス]]の二度目の妃)、のちの[[シチリア王]][[マンフレーディ]](1232-1266)を含む子供たちが生まれた。
 
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