「イラク日本人人質事件」の版間の差分

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なお、この事件に当たっては、[[週刊文春]][[2006年]][[11月2日]]号に掲載された[[作家]]の[[麻生幾]]が執筆した記事によると、[[海上自衛隊]]の[[特殊部隊]]である[[特別警備隊 (海上自衛隊)|特別警備隊]]員をバクダッド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。
 
== マスコミへの批判 ==
 
=== 国外からの批判 ===
 
人質事件の発生後、一部の日本のマスコミがイラクの武装勢力ではなく人質への攻撃を行った。このことが国外メディアから一斉に批判を受けた。[[ニューヨーク・タイムズ]]はその原因に日本社会の構造を指摘し、「お上にたてついたことが人質の罪になった」としている。またマスコミだけでなく保守系政党の政治家からも批判された。[[共和党 (アメリカ)|米共和党]]の[[コリン・パウエル]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]](当時)は人質や海外派遣された自衛官がリスクを引き受けたことで我々が前に進めたと指摘したうえで、率先してリスクを負った人々に責任があるとは言えないと苦言を呈した。またこのような人がいることに日本の人々は誇りに思うべきだとも語っている<ref name="イスラム国事件「自己責任論」">[http://lite-ra.com/i/2015/01/post-807-entry_3.html
]</ref>。
 
== 脚注 ==