「イアン・フレミング」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Rat242 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
編集の要約なし
13行目:
| notable_works = 007シリーズ
}}
'''イアン・フレミング'''(Ian Lancaster Fleming、[[1908年]][[5月28日]] - [[1964年]][[8月12日]])は、[[イギリス]]・[[シティ・オブ・ウェストミンスター|ウェストミンスター]]・[[メイフェア]]生まれの[[軍人]]、[[冒険小説]]家。
 
==プロフィール==
===軍歴及びジャーナリスト===
政治家の息子として生まれる。[[陸軍士官学校]]卒業後、銀行や問屋での勤務を経て、大手通信社の[[ロイター|ロイター通信]]の支局長として[[モスクワ]]に赴任。
[[File:IAN FLEMING - 22 Ebury Street, Belgravia, London SW1W 8LW, City of Westminster.JPG|thumb|right|220px|ロンドンの自宅]]
政治家の息子として生まれる。[[陸軍士官学校]]卒業後、[[銀行]][[問屋]]での勤務を経て、大手通信社の[[ロイター|ロイター通信]]で勤務し、後に支局長として[[ソビエト連邦]]の[[モスクワ]]に赴任。
 
[[1939年]]から{{仮リンク|海軍情報部 (イギリス)|label=英海軍情報部|en|Naval Intelligence Division}}(NID)に勤務。同年にイギリスも参戦した[[第二次世界大戦]]中は[[スパイ諜報員]]として活動し、[[ゴールデンアイ作戦]]などの指揮を執った。1945年の終戦後、スパイ活動から引退する。
 
===作家===
その後、[[ジャマイカ]]の別荘「{{仮リンク|ゴールデンアイ (別荘)|label=ゴールデンアイ|en|Goldeneye (estate)}}」に居住。[[1953年]]に、それまでの経験をもとに「[[ジェームズ・ボンド]]」シリーズ第1作となる長編『[[カジノ・ロワイヤル]]』を発表する。1964年、[[遺作]]となった『[[007 黄金銃を持つ男|黄金の銃をもつ男]]』を校正中に[[心臓麻痺]]で死去(56歳)。
 
==007シリーズ==
映画からは窺えないが、著作(007シリーズ)内では食事シーンが実に克明に描かれており、フレミング本人も「超[[美食家]]」ともいうべき[[生活習慣]]のスタイルであったと伝えられている。そのためか、早い段階から[[心臓]][[血管]]の[[疾患]]をかかえて生活しており、映画化された自分の作品は、映画における第2作『[[007 ロシアより愛をこめて]]』までしか目にすることができなかった。
 
1990年にイアン・フレミング自身を題材にした映画『[[スパイメーカー]]』が公開された。監督は[[フェルディナンド・フェアファックス]]、主演は[[ジェイソン・コネリー]]([[ショーン・コネリー]]の息子)。ただしこの作品の趣旨は「ヤング・ジェームズ・ボンド」とでも呼ぶべき、ボンドとフレミングを同一視したうえでその若い時代を描くという娯楽フィクションで、伝記ものではない。実際のフレミングは確かに海外情報部勤務であったがデスクワークが主体であり、任務を帯びて敵地に潜入する立場にはなかった。
 
2014年にフレミングのスパイ諜報員時代が[[英国放送協会|BBC]]の製作で全4話のテレビミニシリーズ『[[ジェームズ・ボンドを夢見た男]]』として映像化され、日本では[[WOWOW]]で放送された。
 
==プライベート==
77 ⟶ 81行目:
* [[ロスチャイルド家]] - ユダヤ財閥の名門、アン夫人のチャータリス家の親戚
* {{仮リンク|エズモンド・ハームズワース、第二代ロザーメア子爵|label=エズモンド・ハームズワース|en|Esmond Harmsworth, 2nd Viscount Rothermere}} - アン夫人の前夫
* [[スパイ]]
 
{{DEFAULTSORT:ふれみんく いあん}}