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高経死後に義将が幕政に復帰すると、時の管領[[細川頼之]]と対立。頼之の政策に批判的な反細川派の諸侯を結集させ、3代将軍[[足利義満|義満]]に対し頼之の罷免を求める[[康暦の政変]]を起こして再び管領となった。義将は、将軍義満と幕府全盛時代を支え続け、義満の没後も4代将軍[[足利義持|義持]]を補佐した。この間、朝廷から打診のあった義満に対する[[太上天皇]]の追号を拒否したり、屈辱的との批判が多かった[[勘合貿易]]の廃止を提言するなど、康暦の政変以降自身の死まで、およそ30年間にわたって幕府の宿老として大きな影響力を持った。また三管領[[四職]][[七頭]]の制ができると、斯波氏は[[畠山氏]]・[[細川氏]]とともに管領を出す家柄、特に三管領筆頭の家柄として重んじられた。
 
義将の子[[斯波義重|義重]]は、[[応永]]6年([[1399年]])の[[応永の乱]]における大内氏討伐の功により[[尾張国|尾張]]守護職を与え、され、後には[[遠江国|遠江]]守護職も加えられ、以後はこれに本領であった[[越前国|越前]]を合わせた3ヶ国の守護を世襲した。
 
===勢力後退と内紛===