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|代表2={{ROUf}} U-18 |代表年2=1996-1997 |代表出場2=14 |代表得点2=8
|代表3={{ROUf}} U-21 |代表年3=1998-2000 |代表出場3=12 |代表得点3=6
|代表4={{ROUf}} |代表年4=2000-2013<ref>{{Cite news|title=Adrian Mutu - Goals in International Matches|publisher=The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation|url=http://www.rsssf.com/miscellaneous/mutu-intlg.html|language=英語}}</ref> |代表年4=2000-2013 |代表出場4=77 |代表得点4=35
|代表成績更新日=2015年9月28日
}}
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加入1年目となる2006-2007シーズンはリーグ戦33試合出場で16得点、多くのアシストも決め、[[カルチョ・スキャンダル]]のペナルティにより15ポイント勝ち点を減らされたチームをリーグ5位の座に導く。このシーズン、ムトゥはイタリア全国紙の[[ガゼッタ・デロ・スポルト]]紙の試合採点の平均点が最高の選手であり、[[イタリア放送協会]]やDatasportからはグッドプレーヤー賞を送られ<ref>[http://www.gazzetta.it/Magic_Cup/Primo_Piano/2007/05_Maggio/29/magic_2905.shtml Mutu è il migliore]gazzetta.it(2007-5-29){{it icon}},2010-2-1閲覧</ref>、かつての恩師の下で復活を果たした。2007-2008シーズンはリーグ戦29試合出場中17得点し、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権の得られるリーグ4位の座に貢献、加えてUEFAカップでは6得点を挙げ準決勝進出に導いた。[[ルカ・トーニ]]が去った後のフィオレンティーナのエースストライカーとしての地位を確固たるものとした。
 
復帰後のキャリアを順調に築いていたが、[[2008年]][[6月6日]]に[[国際サッカー連盟|FIFA]]特別委員会から約1700万ユーロの罰金をチェルシーに支払うことが命じられる。チェルシー在籍時に解雇理由となったドーピング検査におけるコカイン反応の陽性により、チェルシー側が「ムトゥは契約約款に違反し、クラブに1900万ユーロの経済的損失を与えた」と訴えていたためである<ref name="corriere"/>。その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS) (CAS) に提訴し<ref>[http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/soccer-others/2434411/3295233 CAS FIFAの罰金に対しムトゥが提訴したことを明らかに]afpbb.com(2008-9-6),2010-2-1閲覧</ref>、処分は一時保留となった<ref>[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2009/10/06/1543647/%E3%83%A0%E3%83%88%E3%82%A5%E7%BD%B0%E9%87%91%E5%87%A6%E5%88%86%E3%81%8C%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%B6%88%E3%81%97 ムトゥ、罰金処分が取り消し?]goal.com(2009-10-6),2010-2-1閲覧</ref>。こういった流れを受け、2008-200909シーズンが開幕する直前には好条件を提示した[[ASローマ]]と一度はサインを交わすが、プランデッリ監督の強い要請により当時フィオレンティーナ会長の[[アンドレア・デッラ・ヴァッレ]]が話を白紙に戻した<ref>[http://www.gazzetta.it/Calcio/SerieA/Squadre/Fiorentina/Primo_Piano/2008/07_Luglio/22/mutu.shtml ローマが2000万ユーロでムトゥを獲得か]gazzetta.it(2008-7-22){{it icon}},2010-2-1閲覧</ref>。このシーズンは新たに加わった[[アルベルト・ジラルディーノ]]とのコンビでチームの好調を支えたが、代表戦で負った肘の怪我や、その復帰後には膝の治療等で長期離脱する。しかし出場すればチームに決定的なものを与え、リーグ戦19試合出場ながら13得点している。2009-201010シーズンはリーグ開幕戦の対[[ボローニャFC]]戦で得点する。多額の罰金問題を抱え、精神的に追い詰められていた状況であったがチャンピオンズリーグの対[[デブレツェニVSC]]おいても得点し、チームの決勝トーナメント進出に貢献した。
 
[[2010年]][[1月10日]]の[[ASバーリ]]戦後のドーピング検査で禁止薬物である[[シブトラミン]]が検出され<ref name="bali20100110"/>、[[1月20日]]の[[コッパ・イタリア]]準々決勝・[[SSラツィオ]]戦後のドーピング検査でも同薬品の陽性反応が出た<ref name="lazio20100120"/>。この結果を受け、イタリア・オリンピック委員会(CONI) (CONI) はムトゥに対し9ヶ月の出場停止処分を言い渡した<ref>footballista、2010年5月12日号</ref>。シーズン終了後の[[6月14日]]に、チェルシーへの損害賠償の件でスポーツ仲裁裁判所(CAS)
(CAS) に提訴していたものは退けられていたことがわかり、さらにスイス連邦裁判所に提訴したが、こちらも認められずに5年におよんだ法廷での争いが終わったと報道された<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0910/headlines/20100614-00000037-kyodo_sp-spo.html ムトゥに19億円の賠償命ず スイスの裁判所]sportsnavi.yahoo.co.jp(2010-6-14),2010-6-14閲覧</ref><ref>[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2010/06/14/1975810/%E3%83%A0%E3%83%88%E3%82%A5%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%90%EF%BC%90%E4%B8%87%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%81%AE%E6%94%AF%E6%89%95%E3%81%84%E3%81%AF%E9%81%BF%E3%81%91%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9A ムトゥ、1700万ユーロの支払いは避けられず?]goal.com(2010-6-14),2010-6-14閲覧</ref>。
 
[[2011年]][[6月23日]]に[[ACチェゼーナ]]に2年契約で加入<ref>[http://www.cesenacalcio.it/index.php?option=com_content&view=article&id=4998%3Aadrian-mutu-e-un-giocatore-del-cesena&catid=4%3Acomunicato-stampa&Itemid=121&lang=ja Adrian Mutu è un giocatore del Cesena]cesenacalcio.it(2011-6-23){{it icon}},2011-6-23閲覧</ref>し、チームトップの8得点を挙げたが、得点力不足が大きく響いて最下位に沈み[[セリエB (サッカー)|セリエB]]に降格となった。
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=== 代表 ===
[[2000年]][[3月29日]]の[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]戦で代表デビューを果たし、[[ゲオルゲ・ハジ]]引退後のルーマニアサッカー界の牽引者として注目を集める。[[UEFA EURO 2008]]では、チームのエースとして対[[サッカーイタリア代表|イタリア]]戦で得点を決める。[[2011年]][[8月11日]]に飲酒問題で代表から永久追放された<ref>[http://www.goal.com/jp/news/3638/%E6%9D%B1%E6%AC%A7/2011/08/12/2616092/%E3%83%A0%E3%83%88%E3%82%A5%E5%A4%9C%E9%81%8A%E3%81%B3%E3%81%A7%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B0%B8%E4%B9%85%E8%BF%BD%E6%94%BE ムトゥ、夜遊びでルーマニア代表から永久追放] Goal.gom、2011年8月12日</ref>。その後謝罪したことにより、2試合の出場停止を経て、同じく飲酒問題で永久追放されていた[[ガブリエル・タマシュ]]とともに[[UEFA EURO 2012予選]]の[[サッカーベラルーシ代表|ベラルーシ]]、[[サッカーアルバニア代表|アルバニア]]との2連戦で復帰を果たすと同時にベラルーシ戦 (2-2) では2得点を挙げる活躍を見せた。しかし、[[2013年]][[11月21日]]、[[2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフ]]のギリシャ戦に招集されなかったことに対し腹を立て、自身の[[Facebook]]で[[ヴィクトル・ピツルカ]]監督の顔を[[Mr.ビーン]]の顔に入れ替えた画像を掲載し、再び代表を永久追放された<ref>[http://www.qoly.jp/index.php/story/20046-20131122-mutu アドリアン・ムトゥ、代表監督の顔をPhotoshopでMr.ビーンにして代表再追放か]Qoly.jp 2013年11月22日</ref>。
 
== 所属クラブ ==
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=== 個人 ===
* ルーマニア年間最優秀選手 4:4受賞(2003、 (2003, 2005, 2007, 2008年))
* 2007年 グエリン・ドーロ 受賞(※グエリン・スポルティボ紙が選ぶセリエA年間最優秀選手)
* [[コッパ・イタリア]]得点王 : 2009-10
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*[http://soccernet.espn.go.com/players/stats?id=12050&cc=5739 ESPN Profile]
 
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[[Category:ルーマニアのサッカー選手]]
[[Category:サッカールーマニア代表選手]]