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'''白川 方明'''(しらかわ まさあき、[[1949年]]([[昭和]]24年)[[9月27日]] - )は、[[日本]]の[[中央銀行家]]、[[経済学者]]([[金融政策]]・決済[[システム]])。2008年(平成20年)に、第30代[[日本銀行#歴代日本銀行総裁|日本銀行総裁]]。▼
[[学位]]は[[経済学]][[修士]]([[シカゴ大学]])。[[日本銀行]]審議役、日本銀行[[理事]]、[[京都大学]][[大学院]]公共政策教育部[[教授]]、[[東京大学]]金融教育研究センター客員研究員等を歴任した。日本銀行総裁退任後、[[2013年]]9月1日付で、[[青山学院大学]]国際政治経済学部[[特任教授]]に就任<ref>[http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE96N00K20130724 白川前
▲'''白川 方明'''(しらかわ まさあき、[[1949年]][[9月27日]] - )は、[[日本]]の[[中央銀行家]]、[[経済学者]]([[金融政策]]・決済[[システム]])。2008年に第30代[[日本銀行#歴代日本銀行総裁|日本銀行総裁]]。
日銀総裁時代の業務に関しては、[[デフレーション]]脱却のための金融政策に消極的であったため、日本経済が弱体化し、為替政策では前例のない超円高の状態を引き起こし、総合的な結果として日本国民を苦しめたという論評<ref>{{cite news |title=「白川総裁は誠実だったが、国民を苦しめた」 |author=山田徹也|author2 =井下健悟 |newspaper= [[東洋経済|東洋経済オンライン]]|date=2013-2-8 |url=http://toyokeizai.net/articles/-/12839 |accessdate=2013-2-8}}</ref>など、批判的な評価が多く見受けられる(後述)。2013年1月、白川総裁まで長く続いてきた[[日本銀行]]の体制は、[[安倍晋三]]首相のデフレーション脱却の強い意向により、大きく刷新され始めた。▼
▲[[学位]]は[[経済学]][[修士]]([[シカゴ大学]])。[[日本銀行]]審議役、日本銀行[[理事]]、[[京都大学]][[大学院]]公共政策教育部[[教授]]、[[東京大学]]金融教育研究センター客員研究員等を歴任した。日本銀行総裁退任後、[[2013年]]9月1日付で、[[青山学院大学]]国際政治経済学部[[特任教授]]に就任<ref>[http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE96N00K20130724 白川前[[日本銀行]]総裁、青学大特任教授に9月就任]ロイター 2013年7月24日</ref>。
▲日銀総裁時代の業務に関しては、デフレーション脱却のための金融政策に消極的であったため日本経済が弱体化し、為替政策では前例のない超円高の状態を引き起こし、総合的な結果として日本国民を苦しめたという論評<ref>{{cite news |title=「白川総裁は誠実だったが、国民を苦しめた」 |author=山田徹也|author2 =井下健悟 |newspaper= [[東洋経済|東洋経済オンライン]]|date=2013-2-8 |url=http://toyokeizai.net/articles/-/12839 |accessdate=2013-2-8}}</ref>など批判的な評価が多く見受けられる(後述)。2013年1月、白川総裁まで長く続いてきた[[日本銀行]]の体制は[[安倍晋三]]首相のデフレーション脱却の強い意向により大きく刷新され始めた。
== 来歴 ==
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[[福岡県]][[北九州市]]出身。[[北九州市立中島小学校|小倉市立中島小学校]]、[[福岡県立小倉高等学校]]を経て、[[東京大学経済学部]]卒業。
東大時代、旧[[民社党]]系[[シンクタンク]]である民主社会主義研究会議(民社研)に所属し、活動。経済学部では[[小宮隆太郎]]ゼミに属した。
=== 日本銀行 ===
[[1972年]]
=== 京都大学 ===
[[2006年]]
=== 日本銀行副総裁(総裁代行) ===
[[2008年]](平成20年)[[3月13日]]、日本銀行副総裁として[[国会 (日本)|国会]]の同意が得られたため、[[3月19日]]の[[閣議|持ち回り閣議]]を以て、[[日本
かつて日本銀行総裁は、[[大蔵省]]OBと日銀OBが交代で務める「たすき掛け人事」が続いていたが、28代の[[速水優]]、29代の[[福井俊彦]]と2代続けて日銀OBが就任していた<ref name=nik321>{{Cite web |url=http://www.nikkei4946.com/zenzukai/index.asp?BackNumber=8 |title=全図解ニュース解説 |publisher=NIKKEI4946.com |archiveurl=http://wayback.archive.org/web/20110929043240/http://www.nikkei4946.com/zenzukai/index.asp?BackNumber=8 |archivedate=2011-09-29 |accessdate=2013-01-28}}</ref>。福井の任期満了に伴う次期総裁人事において、日銀の独立性が確保されるかが争点となる中、日本国政府が国会に提示した[[武藤敏郎]](日銀副総裁)及び[[田波耕治]]([[国際協力銀行]]総裁)の総裁人事案は、[[ねじれ国会]]の野党が多数を占める[[参議院]]で否決され<ref name=nik321/>、[[3月19日]]で総裁を退任した福井が[[3月20日]]付で副総裁に就任する白川を「次期日銀総裁が就任するまでの間、総裁の職務を代行する者」に指名した。これにより、白川は副総裁就任と同時に日本銀行総裁職務代行者となった。
=== 日本銀行総裁 ===
白川方明は、[[日本銀行]]副総裁就任後直ちに総裁職の代行を務めたが、日銀総裁の空席による総裁代行の立場が長期間続くと、総裁代行という立場では内外の経済問題への対処が難しくなる恐れが指摘された。この間、[[モルガン・スタンレー証券]]の[[ロバート・フェルドマン]]経済研究主席は、日銀総裁人事などの重要案件には「特定の基準に照らして開かれた議論」が望ましいと主張し、中央銀行マン・官僚・財界人ら19人を「[[マクロ経済学]]と独立性」「政策決定機関のトップをつとめた経験」「国内外のネットワーク」の3指標で採点した結果を「次期日銀総裁 -- 候補者を比較する」と題する調査報告書として発表した<ref>英文は3月25日、和文は翌26日に公表、英国[[フィナンシャル・タイムズ]]紙2008年4月3日号に紹介記事。</ref>
最も評価が高かったのは、[[小泉純一郎]]内閣で経済財政担当相や金融相などを歴任した[[竹中平蔵]]と、日銀出身で金融研究所所長や[[経済協力開発機構]](OECD)の副事務総長を務めた[[重原久美春]]で、武藤は「マクロ経済学と独立性」で17位、ほかの二つの基準で18位にとどまり、田波はいずれの基準でも最下位であった<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-JZ1NW10YHQ1V01.html 日銀総裁空席、FRBに救われた日本株-人事で争う「幼稚」な政治(2)]Bloomberg 2008年4月9日</ref>。こうして、特に海外では[[重原久美春]]の日銀総裁就任を待望する声が高まったが、結局、既に総裁職務代行者であった白川が国会の同意を得て、2008年(平成20年)4月9日に、第30代日銀総裁に就任した。日銀総裁空白期間は20日間であった。2011年(平成23年)1月からは、[[国際決済銀行]](BIS)副議長に就任。日本人のBIS副議長就任は、[[1939年]](昭和14年)に[[加納久朗]]横浜正金銀行(現三菱東京UFJ銀行)ロンドン支店支配人が就任して以来のことで、日銀総裁としては初めてであった。
2013年2月5日、同年4月8日の総裁任期の5年満了を待たずして、3月19日付で日本銀行総裁を辞職することを表明した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0502J_V00C13A2000000/ 白川日銀総裁、3月19日で辞任 副総裁任期に合わせ前倒し] 日本経済新聞 2013年2月5日閲覧</ref>。▼
▲2013年
== 経歴 ==
[[ファイル:G7 Finance ministers.jpg|thumb|right|2008年4月11日、[[アメリカ合衆国財務省|米財務省]]での[[G7]][[財務大臣・中央銀行総裁会議|財務相・中央銀行総裁会議]]にて]]
[[File:G7-finance minsters-central bankers - Oct 2008.jpg|thumb|right|2008年10月10日、[[アメリカ合衆国財務省|米財務省]]での[[G7]][[財務大臣・中央銀行総裁会議|財務相・中央銀行総裁会議]]にて]]
*[[1972年]](昭和47年) - 日本銀行入行
*[[1990年]](平成2年) - 信用機構局信用機構課長
*[[1993年]](平成5年) - 企画局企画課長
*[[1994年]](平成6年) - 大分支店長
*[[1995年]](平成7年) - ニューヨーク駐在参事
*[[1996年]](平成8年) - 金融研究所参事
*[[1997年]](平成9年) - 審議役(国際資本市場担当)
*[[2000年]](平成12年) - 審議役(企画調査担当)
*[[2002年]](平成14年) - 日本銀行理事
*[[2006年]](平成18年) - 京都大学大学院公共政策教育部教授
*[[2008年]](平成20年)
**3月20日 - 日本銀行副総裁(総裁代行) *
*2012年
*2013年(平成25年)
**9月1日 - 青山学院大学国際政治経済学部国際経済学科教授(任期1年) *
== 人物 ==
経済学者の[[浜田宏一]]は、学生時代の白川を「数学やグラフを使って経済学を考えることが得意な人物であった」と語っている<ref>[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2188 経済の死角 日本の新聞が日銀批判を語らない理由]現代ビジネス 2011年03月18日</ref>。
学者肌の人物であり、過去の日銀総裁と比較して、政官界や財界とのパイプや交渉力などは未知数であるとの評もあったが、大学教授時代も現場復帰を熱望していたという。金融政策を担当する企画局勤務が長く、急な就任にも日銀トップとして違和感がないとされる。
金融政策を語り出すと止まらなかったり、「日銀の仕事は面白い」と語ることなどから、周囲から「趣味は金融政策」などと言われるが<ref>{{Cite news |title=日銀次期副総裁でスポットライト!白川さんってどんな人 |url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080313/fnc0803131918017-n1.htm |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経新聞 |date=2008-03-13 |accessdate=2013-01-28 |archiveurl=http://wayback.archive.org/web/20091203191554/http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080313/fnc0803131918017-n1.htm |archivedate=2009-12-03}}</ref>
白川は日銀総裁退任の会見で、生まれ変わったらもう一度総裁に就くかと問われ「そうは思わない」と明確に否定し「とりあえずあすから自由の身になるので、バードウオッチングをしたい」と述べている<ref>[http://archive.is/VsPbk 日銀総裁はこりごり?=生まれ変わったら別人生-白川総裁]時事ドットコム 2013年3月19日</ref>。
== 金融政策 ==
日本銀行総裁就任後の4年間、[[リーマン・ショック]]や[[東日本大震災]]、[[2010年欧州ソブリン危機|欧州債務危機]]に立て続けに見舞われ、5年の在任期間で15回の金融緩和に踏み切り、資産買い入れ額を101兆円まで増額した([[2013年]]末までの残高目標)<ref>[http://biz-journal.jp/2012/04/post_69.html 狭まる政府の日銀包囲網 日銀の"のび太"クン・白川総裁の後任はだれ?]ビジネスジャーナル 2012年4月29日</ref><ref name="sakeibiz201338">[http://www.sankeibiz.jp/macro/news/130308/mca1303080801003-n1.htm 白川総裁、国内外で割れる評価 デフレと格闘の5年間 (1/4ページ)]SankeiBiz(サンケイビズ) 2013年3月8日</ref>。白川は中銀としては異例の上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(J-REIT)にまで買い入れ資産を拡大している<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA2I02620140319 焦点:就任1年黒田日銀に手応え、追加緩和なら「真の異次元」の声も]Reuters 2014年3月19日</ref
東日本大震災直後の[[2011年]](平成23年)[[3月14日]]の定例[[記者会見]]で、「前代未聞の震災が起こった割には基金増額の規模や内訳がしょぼいのではないか」との声が出たのに対し「決してしょぼくない」と反論している<ref name="bloomberg2011513" />。
[[ゼロ金利政策]]、[[量的緩和政策]]に対しては、効果が「限定的」であるとしてきわめて批判的であった<ref>[http://shuchi.php.co.jp/article/557 白川日銀総裁の「出来ない集」]PHPビジネスオンライン 衆知 2008年6月8日</ref>。量的金融緩について京大教授時代に執筆した著書『現代の金融政策』で、「景気・物価に対する刺激という点で中心的な効果は時間軸効果であり、量の拡大はほとんど効果を発揮しなかった」としている<ref>[http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE84N05W20120524 緩和効果は「量」で測れないと日銀総裁が強調、「金利」が大事]ロイター 2012年5月24日</ref>。また、白川は「[[FRB]]は流動性の供給を拡大しているが、物価を押し上げる力は乏しい」と指摘している<ref name="deflahukyo29">田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、29頁。</ref>。▼
▲[[ゼロ金利政策]]、[[量的緩和政策]]に対しては、効果が「限定的」であるとしてきわめて批判的であった<ref>[http://shuchi.php.co.jp/article/557 白川日銀総裁の「出来ない集」]PHPビジネスオンライン 衆知 2008年6月8日</ref>。量的金融緩について、京都大学教授時代に執筆した著書『現代の金融政策』で、「景気・物価に対する刺激という点で中心的な効果は時間軸効果であり、量の拡大はほとんど効果を発揮しなかった」としている<ref>[http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE84N05W20120524 緩和効果は「量」で測れないと日銀総裁が強調、「金利」が大事]ロイター 2012年5月24日</ref>。また、白川は「[[FRB]]は流動性の供給を拡大しているが、物価を押し上げる力は乏しい」と指摘している<ref name="deflahukyo29">田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、29頁。</ref>。
日銀の[[マネタリーベース]]の増やし方は先進国で最大で、これだけ金融緩和をしても経済が成長していかないことの方が問題と指摘し、人口減少と高齢化の中で成長力をどう高めるかが課題との持論を持っている<ref name="reuters201191">[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22973420110901 日銀総裁、中銀が国債引き受けないのは「国の形」と副作用を警戒]Reuters 2011年9月1日</ref>。
2013年(平成25年)[[3月7日]]、金融政策決定会合後に記者会見で、金融緩和が効果を出すには「中長期的な財政規律が重要である」と強調し、政府に[[財政再建]]の取り組みを促している<ref>[http://archive.is/gCnr3 景気「良い方向に」=財政規律の重要性強調-白川日銀総裁]時事ドットコム 2013年3月7日</ref>。
=== 物価 ===
{{see also|デフレーション#日本のデフレの原因について}}
白川方明は、日本の[[デフレーション]]の原因について
# [[規制緩和]]などによる、内外価格差の縮小▼
# 労使の雇用確保の重視による、サービス産業などの賃金低下
▲#[[規制緩和]]などによる、内外価格差の縮小
#
を挙げている<ref>田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、22頁。</ref>。また、白川は「デフレには様々な定義があり、一概には定まらない」と指摘している<ref name="deflahukyo29" />。
デフレ脱却には「生産性の向上」が必要であり、それには「民間企業と政策当局双方の努力が必要である」と強調し、政府は「企業が熾烈なグローバルな競争環境に置かれていることを踏まえて、さまざまな制度や仕組みを見直すことが重要である」と述べている<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-KY1D9O0YHQ0X01.html 日銀総裁が政府に異例の注文-市場安定に「中銀の尊重」を(Update1)]Bloomberg 2010年2月19日</ref>。
[[2009年]](平成21年)[[11月20日]]、金融政策決定会合後の記者会で、「持続的な物価下落は、マクロ的需給バランスが緩和していること、言い換えると需要の弱さの結果として生じる現象」と指摘し、「需要自体が不足している時には、流動性を供給するだけでは物価は上がってこない」との考えを示した<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-12578020091120 需要不足時、流動性供給だけでは物価は上がらず=日銀総裁]ロイター 2009年11月20日</ref>。
2009年
2012年(平成24年)[[4月21日]]、米ワシントンで講演し「中央銀行の膨大な通貨供給の帰結は、歴史の教えにしたがえば制御不能な[[インフレーション]]になる」と述べた<ref>[http://web.archive.org/web/20120422174517/http://www.asahi.com/business/update/0422/TKY201204220221.html 「膨大な通貨供給、インフレになる」 日銀・白川総裁]朝日新聞 2012年4月22日(2012年4月22日時点のインターネット・アーカイブ)</ref>。
白川は中央銀行の総裁という立場から、日本で[[ハイパーインフレーション]]が起きる起きないということ自体に、言及することは不適切との考えを示している<ref>[http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-20569320110412 中銀総裁がハイパーインフレの可能性に言及は不適切=日銀総裁]ロイター 2011年4月12日</ref>。
2013年(平成25年)[[2月28日]]、日銀総裁の任期中最後の講演で「多くの国民は単に物価だけが上がることを望んでいる訳ではない」とし、金融緩和による物価上昇による[[実質所得]]の低下などの副作用を懸念した<ref name="reuters2013316">[http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK063561320130316 円安でも潜在成長率高まらず、国民は単なる物価上昇望んでいない=最後の講演で白川日銀総裁]Reuters 2013年3月16日</ref>。
2013年(平成25年)[[3月19日]]、退任記者会見で、日銀が市場の期待に働きかけて物価上昇を目指す手法([[リフレーション]])について「期待に働きかけるという言葉が、中央銀行が言葉によって市場を思い通りに動かすということであれば、そうした市場観や政策観に私は危うさを感じる」と述べた<ref name="mainichi2013219">[http://web.archive.org/web/20130430044526/http://mainichi.jp/select/news/20130320k0000m020042000c.html 日銀:白川総裁が退任会見 リフレ政策に懸念の発言]毎日jp(毎日新聞) 2013年3月19日(2012年4月30日時点のインターネット・アーカイブ)</ref><ref name="sankeibiz2013219">[http://web.archive.org/web/20130319161537/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130319/fnc13031921400017-n1.htm 黒田新総裁に「危うさ感じる」 日銀の白川総裁がさよなら会見 (1/2ページ)]MSN産経ニュース 2013年3月20日</ref><ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013032002000116.html 【経済】白川日銀総裁が退任 受け身終始 市場そっぽ]東京新聞(TOKYO Web) 2013年3月20
白川は「[[マネタリーベース]]を増やせば物価が上昇するという相関関係は断ち切られている」と指摘し、デフレの原因については「すべての経済現象を貨幣現象だけで説明できるわけではない」「金融緩和と供給面、構造面での努力が相まってデフレの根本的な問題に対処できる」と金融政策だけでデフレは克服できないとの考えを重ねて強調した<ref name="mainichi2013219" /><ref name="sankeibiz2013219" /><ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFL190OA_Z10C13A3000000/ 日銀総裁「資金供給量と物価のリンク、断ち切られている」]日本経済新聞 2013年3月19日</ref>。
[[2014年]][[5月13日]]、アメリカの[[ダートマス大学]]タック・スクール・オブ・ビジネスでの講義で「日本経済の主な問題はデフレではなく、人口動態である」と述べている<ref name="wsj2014515">[http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304408504579561861210923766 白川前日銀総裁、金融政策による景気刺激の限界を指摘]WSJ日本版 2014年5月15日</ref>。また同講義で「デフレは極めて低い失業率の裏返しである」と述べている<ref name="wsj2014515" />。▼
▲[[2014年]](平成26年)[[5月13日]]、[[アメリカ合衆国]]の[[ダートマス大学]]タック・スクール・オブ・ビジネスでの講義で「日本経済の主な問題はデフレではなく、人口動態である」と述べている<ref name="wsj2014515">[http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304408504579561861210923766 白川前日銀総裁、金融政策による景気刺激の限界を指摘]WSJ日本版 2014年5月15日</ref>。また同講義で「[[デフレーション]]は極めて低い失業率の裏返しである」と述べている<ref name="wsj2014515" />。
==== 物価安定の目途 ====
2012年(平成24年)[[2月14日]]に、日本銀行が設立した中長期的な物価安定の目途1%について、「プラス2%で政策を運営すると、過去に経験のない事態が起きるので大変不確実性が高く、経済活動に悪影響を与える」「海外が2%だからといって日本も2%を目指すというのは間違い」と述べた<ref>[http://www.boj.or.jp/announcements/press/kaiken_2012/kk1204a.pdf#search='%E7%99%BD%E5%B7%9D+%E7%89%A9%E4%BE%A1%E5%AE%89%E5%AE%9A+2012%E5%B9%B44%E6%9C%8811%E6%97%A5+%E4%BC%9A%E8%A6%8B' 4月10日]日本銀行 2012年04月11日</ref>。
==== インフレターゲットについて ====
2009年(平成21年)[[11月3日]]、白川は講演で「インフレ誘導政策を採用すれば、様々な問題が起こる」「中央銀行はそのような政策は決して行わない」と述べている<ref>勝間和代・宮崎哲弥・飯田泰之 『日本経済復活 一番かんたんな方法』 光文社〈光文社新書〉、2010年、181頁。</ref>。
2012年(平成24年)[[11月12日]]、都内の講演で[[インフレターゲット|インフレ目標]]について「物価も賃金も上がらない状況が長く続いた日本経済では現実的でない」と述べ、否定的な見解を示した。また、日本の消費者や企業では「物価は上がらないのが普通だという感覚」が定着していると述べた<ref>[http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012111201001623.html 日銀総裁、インフレ目標に否定的 「現実的でない」]47NEWS 共同ニュース 2012年11月12日</ref>。
=== 為替 ===
「為替は金融政策によって変わる」というマネタリーアプローチは白川がシカゴから持ってきた理論である<ref>[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2188 経済の死角 日本の新聞が日銀批判を語らない理由]現代ビジネス 2011年03月18日</ref>。経済学者の[[ハリー・G・ジョンソン]]、[[ジェフリー・フランケル]]の論文の「国際収支の不均衡は貨幣市場の不均衡によってもたらされ、調整は金融政策が有効である」という説を引用し<ref name="synodos2013312">[http://synodos.jp/economy/284 日本の購買力平価は高くない]SYNODOS -シノドス- 2013年3月12日</ref><ref name="gendai2013118">[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34584 浜田宏一「教え子だった白川方明日銀総裁はどこで道を誤ったのか」 『アメリカは日本経済の復活を知っている』より第1回]現代ビジネス 2013年1月18日</ref>、マネタリーアプローチに基づく為替レートの実証分析についての論文を、留学して戻ってきた1970年代に発表している<ref>[http://www.sbbit.jp/article/cont1/25096 【片岡剛士氏インタビュー】円高・デフレは自然現象ではない! 無謬性の罠にはまらないための経済知識 『円のゆくえを問いなおす』著者 片岡剛士氏インタビュー]ソフトバンク ビジネス+IT 2012年7月4日</ref>(白川方明「マネタリー・アプローチについて」『金融研究資料』第3号、1979年8月<ref name="synodos2013312" />)。論文には「為替変動などの経済現象に対しては日本銀行の金融政策が有効である」と書き記している<ref name="gendai2013118" />。
2012年
2013年
=== 財政ファイナンス ===
中央銀行が国債を引き受けないのは「国の形」だと表現し、引き受けた場合の副作用を厳しく警戒している<ref name="reuters201191" />。
[[2013年]](平成25年)[[1月9日]]の[[経済財政諮問会議]]で「日銀が財政ファイナンス(赤字の穴埋め)をしているという懸念をもたれないように、財政再建に取り組むことが重要だ」と述べている<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFL090LM_Z00C13A1000000/ 日銀総裁「財政ファイナンスの懸念ないように」]日本経済新聞 2013年1月9日</ref>。
=== 安倍首相の意向による日銀体制の改革 ===
自民党の安倍晋三[[自由民主党総裁|総裁]]は、2012年
== 評価 ==
2012年(平成24年)、金融経済部門の優れたリーダーとして、日本人で初めて米国の「外交評議会(FPA)メダル」を受賞した<ref name="sakeibiz201338" />。
2012年
=== 世界のメディアの評価 ===
* 2011年
* 2012年
* 2012年
* 2013年
* [[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]・ビジネスウィーク誌は「日銀の資産(バランスシート)を50%拡大、インフレ目標を導入し、ショックから国の銀行システムを守った」と評し「少なくとも1982年以来、最も積極的な総裁」「日銀の130年の歴史の中で最も大胆だったかもしれない」と指摘する一方で、同じ期間にバランスシートを250%拡大した米[[連邦準備制度|連邦準備委員会]](FRB)や、倍増させた[[欧州中央銀行]](ECB)に比べると「遅れをとり」相対的に円高を招いたと指摘している<ref name="newsphere201338">[http://newsphere.jp/world-report/20130308-3/ 海外紙、白川総裁を「大胆」と評価 指摘する意外な弱点とは?]NewSphere(ニュースフィア) 2013年3月8日</ref>。
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=== 退任会見後の株価の動きに関する報道 ===
2013年
== 他の主要国の中央銀行との比較 ==
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[[File:Nichigin1.PNG|right|x250px|thumb|日銀のマネタリーベースの推移。1990年より。縦軸の単位は兆円。]]
[[File:Consumer price change.PNG|x250px|thumb|前年同月比の物価の推移。水色は総合、赤は生鮮食品を除く総合、薄い緑は食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合である。縦軸の単位は%。]]
2013年
日銀は黒田主導で新たな金融緩和策を打ち出し、「[[連邦準備制度理事会]](FRB)が金融危機後に採用した金融政策への転換だ」とウォールストリート・ジャーナルに評された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130405/fnc13040523450032-n1.htm 日本のバーナンキ議長」 米紙、黒田総裁を高く評価]MSN産経ニュース 2013年4月5日</ref>。
2014年
== 著書 ==
192 ⟶ 196行目:
== 動画配信 ==
=== NIKKEI CHANNNEL ===
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