「第32回NHK紅白歌合戦」の版間の差分

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*優勝は白組。黒柳は「(北島のステージを指して)最後に雪で真っ白になって、あぁ白組にやられたなと思いました」と述べた。
*1995年12月に『思い出の紅白歌合戦』([[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]])で再放送された(BS2での全編再放送はこの1回のみ)。
*今回から[[日本野鳥の会]]による客席審査のカウントが始まによる審査方法となった<ref>[http://www9.nhk.or.jp/kouhaku/history/history_32.html 紅白歌合戦ヒストリー]([[日本放送協会|NHK]]2012年11月25日閲覧)</ref>。この回では[[日本野鳥の会]]による客席審査カウントが行なわれ、日本野鳥の会は以後1985年まで集計を担当し、1992年にもカウント集計作業を行なっている
*[[1977年]]・[[第28回NHK紅白歌合戦|第28回]]終了後、紅白担当スタッフと演出手法につき衝突を起こし、前回まで構成を外れていた[[塚田茂]]が構成に復帰。塚田の著書<ref>『どんどんクジラの笑劇人生』(1991年、[[河出書房新社]])</ref>によれば、テレビ放送初の紅白の会場であり、塚田が演出家としてのキャリアをスタートさせた地でもある[[日本劇場|日劇]]がこの年で閉館となったことを考慮に入れ、「往年の日劇のレビューショー」のような紅白にしたいという方針を塚田と、当時のプロデューサーの[[増子正利]]が打ち出したことが、大幅な舞台構成、番組内容の転換が図られることになった直接の契機である、とされている。
*この年ブレイクし、NHKが発表した世論調査でもランクインした[[イモ欽トリオ]]は落選した。「10代を対象に含んだアンケートでは順位が伸びたものの、他のデータでは伸び悩んだ」ことが理由とされている<ref name=asahi81112522 />。