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逆に、被支配層から支配者への訴えを権利として認めない国家、訴えを弾圧する国家、あるいは平和的手段によって訴える事はできるが、支配者が常にそれを黙殺するような状態の国家、深刻すぎて平和的に訴える次元を過ぎたような問題のある国家では、反乱の可能性は高まる。
 
現代における例を挙げるなら、[[中華人民共和国]]は、共産党の政治腐敗による搾取、農村地帯と都市のあまりもの貧富の差などが原因で、小規模な農民反乱が各地で起こっている。1989年の[[六四天安門事件|第二次天安門事件]]で、学生による非暴力的デモ行為を反乱として軍事力を用いて鎮圧したことは記憶に新しい。前述の「反乱が起こる可能性の高いの国家」に該当すると言えるだろう。
 
言い換えれば反乱とは、被支配層による、支配者への究極の意思表示方法であると考えられるが、支配者側から見れば重犯罪であり、鎮圧されれば生命の保証はなく、後がない状態であることを承知の上で被支配層が反乱を起こすと言う事態は、それだけで支配者と被支配層の完全な没交渉状態を表しており、その国家運営が部分的に破綻していることの現れだと言うことができる。
 
歴史的に、選挙・請願・デモなどの平和的主張が被支配層の「[[権利]]」として認められるのは、民主政が定着し始めた19世紀から20世紀を待たねばならず、それ以前の帝政・王政が主流の世界では、被支配層には支配者を批判したり、不満を表明する手段がなく、またその権利を自覚していなかったため、幸運が有能な支配者をもたらさない限り、被支配層は支配者に対する不満を蓄積し続け、結果として反乱を起こす可能性が非常に高い時代だったと言えるだろう。
 
「反乱」と類義・近似の言葉は、日本語にも英語にも数多くあるので「反乱とは何か」を考えるとき、その境界を見つけるのが多少難しい。英語では、反乱を大きく {{en|rebellion}} とし、民衆が非武装なら {{en|nonviolent resistance}}([[市民的不服従]])、武装していれば {{en|uprising}} と呼ぶ。
 
一例をあげれば、[[明智光秀]]は何かしらの不満があって[[織田信長]]を誅したのだから「本能寺の変」は「明智光秀の反乱」とでも言えそうだが、彼は飢えた農民たちを率いた無名の男ではなく、織田信長の腹心であり、本能寺の変は最初から最後まで、支配層の内側で起こった政治的な背景を持った事件である。日本語は従者が主人に反逆することを「[[謀反]]」と呼ぶが「[[本能寺の変]]」は、明智が政権を奪ったクーデターであり、そこから[[豊臣秀吉|豊臣]]と明智の短期間の内乱に発展したと言えるだろう。
 
そこで反乱とは「下層」の被支配層が「上層の」支配者に対して起こす「非政治的な階級間闘争」であると考えれば「反乱」の構図が明確になる。起こす側と起こされる側の階級差が大きく、理由が非政治的であれば反乱であり、階級差が少なく、理由が政治的であればクーデターまたは内乱ということである。剣闘奴隷という最下層の人々が巨大な[[ローマ帝国]]に挑んだスパルタクスの反乱(下記リンク参照)は、完全に反乱の概念を満たす事件であるし、日本の農民[[一揆]]も同様である。
 
だが、階級差は大きいが、理由が政治的なものもある。それは「[[革命]]」である。「[[ロシア革命]]」は[[ニコライ2世]]皇帝一家とツァーリズムという国家体制の打倒と、その後の共産主義国家の樹立を目指しており、完全に政治的な背景を持つ事件である。
 
[[共産主義|コミュニスト]]たちはこの運動に成功したゆえに「革命」と呼ばれているのだが、これが途中で鎮圧され、首謀者であるレーニンたちが処刑されていたら、最終目標だったニコライから見たそのままに、後世では「コミュニストの反乱」などと呼ばれたかもしれない。
 
後世から見れば反乱を起こした人々が持つ大義は十分理解できるものだが、反乱を鎮圧した当時の支配者は、反乱を起こした人々を、支配者の地位を脅かした大罪人としてひとくくりで処罰し、彼らには汚名と「反乱」というやや悪性のイメージしか残されない。
 
== 反乱とリーダー ==