「訓読み」の版間の差分

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== 歴史 ==
「訓」の訓読みは「よむ」であり、詳しくは「ときほぐしてよむ」こと、つまり漢字の意味を優しく解説したり言い換えたりすることを意味する。日本ではもっぱら漢字を日本語に固有の[[大和言葉]](和語)に翻訳することを意味した。このため、'''和訓'''(わくん)とも呼ばれた。『[[古事記]]』などでは万葉仮名で[[古訓]]による訓注がつけられているが、その訓は一つの漢字に対して複数存在し固定的ではなかった。平安末期(12世紀)に成立した漢和字典『[[類聚名義抄]]』では1字に30以上の訓があるものがみられる。これは漢字がもともと[[中国語]]という外国語を表記するための[[文字]]であり、日本語の語意と一対一対応しないためである。このような状況のなか、平安時代中期以降になると、漢文を日本語の[[語順]]や訓で読む漢文[[訓読]]の方法が発達するとともに1義1訓の形に次第に訓が限定されていき、[[室町時代]]には訓がかなり固定化された。こうして、漢字に固定的な日本語の読みとして「訓読み」が成立することで日本語を漢字で表記することに無理がなくなっていった。現在、[[常用漢字]]も設けられ、訓読みもかなり整理されているが、似たような意味の複数の訓をもつ字が少なからずある
 
『[[古事記]]』などでは万葉仮名で[[古訓]]による訓注がつけられているが、その訓は一つの漢字に対して複数存在し固定的ではなかった。平安末期(12世紀)に成立した漢和字典『[[類聚名義抄]]』では1字に30以上の訓があるものがみられる。これは漢字がもともと[[中国語]]という外国語を表記するための[[文字]]であり、日本語の語意と一対一対応しないためである。このような状況のなか、平安時代中期以降になると、漢文を日本語の[[語順]]や訓で読む漢文[[訓読]]の方法が発達するとともに1義1訓の形に次第に訓が限定されていき、[[室町時代]]には訓がかなり固定化された。こうして、漢字に固定的な日本語の読みとして「訓読み」が成立することで日本語を漢字で表記することに無理がなくなっていった。現在、[[常用漢字]]も設けられ、訓読みもかなり整理されているが、似たような意味の複数の訓をもつ字が少なからずある。
== 特徴 ==
<!--音読みへ→ 訓読みがあまり使われず、[[音読み]]ばかりが使われる漢字もあるが、それはその漢字が日本人に理解されないことを意味せず、むしろその漢字が日本に伝わった当時に日本にない概念や事物であったということを意味する。例えば、「[[キク|菊]]」(キク)のようにもともと日本になかったために訓読みが存在しない字もあるし、[[肉]](宍)({{Smaller|[[呉音]]:}}ニク、{{Smaller|[[漢音]]:}}ジク)のように、「しし」と訓読みすると別の意味と紛らわしいため、区別的に使われているうちに忘れられ、音読みしか使われなくなった字もある。また、-->特殊な例として、本来は音読みであったものが時代を経るにつれ土着化し訓読みとみなされることが多くなった例もある。「うま」(馬、ma3)や「うめ」(梅、mei2)はその好例とされる。
 
また、特殊な例として、本来は音読みであったものが時代を経るにつれ土着化し訓読みとみなされることが多くなった例もある。「うま」(馬、ma3)や「うめ」(梅、mei2)はその好例とされる。
 
一つの漢字に複数の意味がある場合は、一つの漢字に複数の訓読みがある可能性がある。もっとも訓読みが多い漢字は「生」とされる。動詞・形容詞・副詞の漢字を訓読みするには[[送りがな]]が使われる。