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1938年のナチス・ドイツによる[[チェコ]]の[[ズデーテン]]併合時に計画されたクーデター計画が、国防軍内における反ナチス運動の嚆矢だった。ズデーテン併合により[[イギリス]]および[[フランス]]から宣戦布告されることをおそれた[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]][[参謀総長]]の[[ルートヴィヒ・ベック]]は職を辞し、参謀総長の[[フランツ・ハルダー]]、アブウェール次長の[[ハンス・オスター]]、第三軍管区司令官[[エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン]]、第二十三歩兵師団長[[エーリヒ・ヘプナー]]など反ナチス派将校や民間人を集めてクーデター計画を練った。計画では臨時政府の元で総選挙を実施し政治を正常化させることになっていたが、ヒトラーの扱いについては、殺害、逮捕および裁判、精神異常者として拘禁するなど意見がまとまらなかった。イギリスの首相[[ネヴィル・チェンバレン]]の提案により行われた[[ミュンヘン会談]]においてイギリスおよびフランスがドイツのズデーテン併合を認めたため、クーデター計画はその根拠を失い中止された。
1939年の[[ポーランド侵攻]]を機に第二次世界大戦が勃発し、更に1941年に開始された[[ソビエト連邦]]との戦いが泥沼化すると、国防軍将校によるクーデター計画が再燃した。1943年には[[東部戦線]]の[[中央軍集団]][[参謀]]の[[ヘニング・フォン・トレスコウ]]は、ヒトラーの前線視察時に
== 経緯 ==
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