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{{otheruses|現在は存在しない音楽家団体|後継した音楽家団体|東京二期会|同音異字の美術団体|二紀会}}
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{{Portal クラシック音楽}}
'''二期会'''(にきかい)は、1952年に結成された声楽家団体である。この団体は2005年9月に「'''財団法人二期会オペラ振興会'''」に包含され、単独の団体としては既に存在していない。<br>(「'''財団法人二期会オペラ振興会'''」は1977年の設立。2005年10月に「'''財団法人東京二期会'''」と名称変更。更に2010年11月18日に[[公益財団法人]]認定され現在の名称「'''公益財団法人[[東京二期会]]'''」に至る)<br>
 
現在では「二期会」とは、「'''公益財団法人東京二期会'''」の中の声楽会員組織の意味である。<br>
(日本のオペラ歌手が「二期会会員」と言う場合は、この東京二期会の中の声楽会員組織に所属している、という意味である)<br>
 
(日本のオペラ歌手が「二期会会員」と言う場合は、この東京二期会の中の声楽会員組織に所属している、という意味である)<br>
従って、ここでは現在の「'''公益財団法人東京二期会'''」の前身としての声楽家団体について記述する。<br>
 
現在の二期会の姿については[[東京二期会]]の項を参照されたい。<br>
従って、ここでは現在の「'''公益財団法人東京二期会'''」の前身としての声楽家団体について記述する。<br>
 
現在の二期会の姿については[[東京二期会]]の項を参照されたい<br>
 
== 沿革 ==
二期会発足の母体となったのは、[[東京音楽学校]]の出身者たちであった。<!--NOR : もともと[[第二次世界大戦]]前の東京音楽学校は学校としてオペラという音楽ジャンルそのものに対して好意的でなかったが、戦後教官陣の内紛とそれに続く組織改革(東京芸術大学音楽学部としての再出発)もあり、次第にオペラ教育・研究の機運が熟しつつあった。-->[[1949年]]12月(翌1950年1月説もあり)にはクラブ活動的存在ではあったが「オペラ研究部」が発足、その部長には[[テノール]]の[[柴田睦陸]]が就任した。
 
オペラ研究部としての最初の対外活動は、[[1951年]]11月27日より[[日比谷公会堂]]で[[芸術祭 (文化庁)|文部省芸術祭]]参加公演として行った、[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]『[[ファウストの劫罰]]』である(訳詩上演)。なお同曲はベルリオーズによって「劇的物語」と題されており、必ずしもオペラ形式での上演は主流ではないが、研究部は2公演を演奏会形式、9公演を舞台上演として演奏した。NHKラジオ<!--[[NHKラジオ]]★曖昧回避にLinkせず該当項目に直接Linkを-->による録音放送も行われた。
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{{DEFAULTSORT:にきかい}}
[[Category:日本の歌劇団]]
[[Category:1952年設立]]
[[Category:2005年廃止]]