「野田城の戦い」の版間の差分

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ところが後代に生じた信玄死因の異説として、野田城を包囲していた時に[[狙撃]]された傷を原因とするものがある。より具体的には『松平記』に信玄が美しい笛の音に誘われて本陣を出たときに定盈の家臣・[[鳥居三左衛門]]に狙撃されたという(黒澤明の映画『[[影武者 (映画)|影武者]]』はこの話を用いている)。
 
=== うでこき山 ===
豊川を挟んで新城城や野田城を見下す小山で武田軍の精鋭(腕のたつ者=腕こく者)が軍議を開いたことからその山は「うでこき山」の名が付けられたという(同山の頂上付近に由来の銘板が設置されている)。ただしこれには異説があり、新城市の郷土史では「大昔、神様は近江の土をすくって[[琵琶湖]]を作り、その土を駿河・甲斐あたりに盛って[[冨士山]]を作ったが、その時神様の腕についてた土埃をこいて落としたものがうでこき山である」とも紹介されている。
 
== 関連項目 ==