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父は[[理研映画]]で監督・プロデューサーを務めた[[大鶴日出栄]]。前妻は女優の[[李麗仙]](1967年結婚、1988年離婚)、長男は俳優・小説家・映画監督の[[大鶴義丹]]。1989年の再婚後にもうけた長女は女優の[[大鶴美仁音]](みにょん)、次男は[[大鶴佐助]]。<br />
[[作家]]としても活躍、『[[パリ人肉事件#この事件を元にした出版物|佐川君からの手紙]]』で[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞。俳優として自作以外の映画やテレビドラマに出演することもある。他の演出家への戯曲提供も多い。[[東京市]]出身。明治大学文学部演劇学科卒業。2012年4月より明治大学大学客員教授に就任。
 
== 来歴・人物 ==
[[東京府]][[東京市]]出身。[[下谷区]]立坂本小学校、私立[[駒込中学校・高等学校|駒込中学校]]、[[東邦大学付属東邦中学校・高等学校|東邦大学付属東邦高校]]を経て、[[明治大学]][[文学部]]演劇学科卒業。[[演劇]]の新テーゼ「特権的肉体論」を提唱して、[[1963年]]に笹原茂峻(笹原茂朱)らと共に劇団「シチュエーションの会」(翌年「'''状況劇場'''」に改名)を旗揚げ。旗揚げ公演は[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]作の『恭しき娼婦』。翌[[1964年]]の処女戯曲『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』で、初めて唐十郎の筆名を用いる。
 
この時期、李礼仙(李麗仙の旧芸名)と共に「[[金粉ショー]]」をしながら[[キャバレー]]を巡り、芝居の資金や紅テントの購入費用を調達した。
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[[Category:日本の俳優]]
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:朝日賞受賞者]]
[[Category:芥川賞受賞者]]
[[Category:岸田國士戯曲賞受賞者]]