「スヴェン3世 (デンマーク王)」の版間の差分

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[[1137年]]に父が地方貴族に殺害されると、王位は従兄の[[エーリク3世 (デンマーク王)|エーリク3世]]が継承、スヴェンは[[ドイツ]]へ逃れた。[[1146年]]にエーリク3世が退位すると[[シェラン島]]の有力貴族に擁立されて即位したが、クヌーズ5世も[[ユトランド半島]]で即位、内戦が発生した。内戦は従弟のヴァルデマー(後のヴァルデマー1世)と手を組んだスヴェン3世が優勢で、クヌーズ5世を擁立した[[ルンド]][[大司教]]エスキルも[[スコーネ]]と[[ボーンホルム島]]にある土地の保有を条件に寝返り、クヌーズ5世は孤立していった。両者は[[ヴェンド十字軍]]で共に参戦したが、十字軍が解散すると再度対立していった。
 
[[1150年]]頃にヴァルデマーを[[シュレースヴィヒ公国|シュレースヴィヒ]]公に封じ、クヌーズ5世を助けていた[[シャウエンブルクおよびホルシュタイン公国|ホルシュタイン]][[アドルフ2世 (ホルシュタイン伯)|アドルフ2世]]と戦った。1150年にクヌーズ5世を追放したが翌[[1151年]]に復帰、スヴェン3世は[[ローマ王|ドイツ王]][[コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート3世]]の支援を求め、[[1152年]]にコンラート3世の後を継いだ[[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]に忠誠を誓い、王号を認められた。
 
しかし、[[1154年]]にクヌーズ5世と彼に寝返ったヴァルデマーの反撃に遭い、ドイツへ亡命、3年を過ごした。1157年に[[ザクセン公国|ザクセン]]公兼[[バイエルン大公|バイエルン]]公[[ハインリヒ3世 (ザクセン公)|ハインリヒ獅子公]]の援助でデンマークへ帰国、クヌーズ5世及びヴァルデマーと和睦、デンマークを共同統治することに決めて、スヴェン3世はスコーネを統治することに合意した。[[8月9日]]、[[ロスキレ]]で祝宴を開き、そこでクヌーズ5世を殺したが、ヴァルデマーと側近の[[アブサロン]]はユトランド半島へ逃亡、軍勢を率いて反撃、10月23日に[[グラーテ・ヘーゼの戦い]]で敗れて逃亡しようとしたが、泥に馬の足を捕られて落馬、農民達に殺された。デンマークはヴァルデマー1世の単独統治となり、内乱は終結した。