「オスマン・サンコン」の版間の差分

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少年時代に、[[サッカー]]で右足を骨折して入院したが、当時のギニアの医療設備・技術では完治に至らず、現在でも不自由で、日本の[[身体障害者手帳]]2級を持っている<ref>2011年8月霊友会京都創立祭資料より</ref>。この出来事を体験したことが、「ギニアの医療をはじめ、経済・生活水準などを先進国並みに発展させ、未来の子供たちに同じ思いをさせたくない」という、ボランティア活動の原動力になっているとコメント。また、ギニアに住んでる頃はあまり[[汗]]をかかない体質だったが、日本に来てからはダラダラと汗をかくようになってしまったという。
 
[[介護ヘルパー]]2級の資格を持っており、福祉の問題への関心も高い。
 
ギニアでは[[イスラム教]]が主であるため、[[酒]]の存在を知らなかった。来日して初めて酒を飲んだとき「おいしい飲み物」と思い、それ以降酒好きになった。また、豚肉を口にする習慣もなかったが、[[カツ丼]]を豚肉と知らず食べてしまったときも「おいしかった」と思ったという<ref>『“超自然人”サンコンの「視力6.0」が見たニッポン』「第1章:フシギの国ニッポン 世界1のヨッパライ天国」より。</ref>。
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初めて仏式の葬儀に参列した際、他の参列者が[[焼香]]をして「ご愁傷様でした」と言っている姿を「『ご馳走様でした』と言っているのだから何か食べているのだろう」と勘違いし、抹香を食べてしまったことがあった。抹香の味は「酸っぱかった」とのこと。
 
[[熱中症]]という言葉も日本で初めて聞いた。ギニアにはないですね」と語る<ref>女性セブン2013年8月1日号</ref>。
 
== 最近の活動 ==
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2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東日本大震災には、真っ先にゆかりのある地に出向き、炊き出しや慰問活動も行ってきている。震災の発生した3月11日はサンコンの誕生日ということもあって、ほかならぬ思い入れを抱き支援活動を行っている。毎年多くの友人を招いて開催していた盛大な誕生会を2011年から自粛している。
 
2013年12月頃から、ギニアをはじめとする西アフリカにて流行し始めた[[エボラ出血熱]]に対し、緊急物資や義捐金の調達の呼びかけを行い、母国ギニア共和国に多くの支援活動を行っている。
 
2014年11月には、エボラ熱の一刻も早い封じ込めに貢献したいと、主にクラウドファンディングを通した支援金募集、現地への支援物資の輸送を目標とした活動を行っている国際医学生連盟 日本 『Kick Ebola Out Japan』の主催による『Kick Ebola Out Japan』×サンコンさんと考える国際支援をNPO法人ギニア日本交流協会の顧問としてボランティア参加している。