「テオドロ・オビアン・ンゲマ」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[スペイン]]の士官学校で学び、母国で[[大佐]]になった。[[1979年]]8月、[[叔父]]である[[マシアス・ンゲマ]]大統領の独裁政権を[[クーデター]]で倒し、軍事政権を打ち立て、自らその[[議長]]として[[元首|国家元首]](革命軍事評議会議長、のちに最高軍事評議会議長)に就任した([[1982年]][[10月]]には[[大統領]]就任)。政権奪取後は事実上の[[独裁]]体制をしき、[[1982年]]に民政移管などを定めた新憲法を採択させたが、クーデター未遂がたびたび発生した。
 
[[1987年]]に自らの一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)結成。民主化を要求する[[スペイン]]、[[フランス]]、[[アメリカ合衆国]]の圧力を受け[[1991年]]11月、[[複数政党制]]を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、大統領の免責規定などに[[野党]]勢力は反発して[[1993年]]の総選挙は野党の大半が[[ボイコット]]する中、PDGEが大勝。[[1996年]]2月の大統領選も野党はボイコットし、ンゲマが得票率99%で4選、[[2002年]]12月で5選、[[2009年]]11月は得票率96.7%で6選した。現在でも強権支配を続けている。2011年8月にリビアのカダフィ政権が崩壊し、1969年以来政権を維持してきたカダフィ大佐が権力を失ったため、世界最長の政権を率いる人物となった(君主は除く)。2011年1月には[[アフリカ連合]]総会議長に就任、1年間の任期を務めた。