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== 経歴 ==
1918年11月、咸鏡北道に生まれる。光明中学校卒業。[[満州国陸軍軍官学校|新京軍官学校]]予科卒業(第1期)、成績優秀のため[[朴林恒]]、[[崔昌彦]]らと共に[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]に留学(第56期相当)。卒業後は満州国軍将校となり終戦時は中尉。終戦後、[[申鉉俊]]や[[朴正熙]]と共に[[北京|北平]]に到り、ここで[[韓国光復軍]]に編入され第3支隊平津大隊第1中隊長となった<ref>{{cite news| url = http://www.jejusori.net/?mod=news&act=articleView&idxno=170476 | title = 共匪達と血縁関係を持ったせいで… | author = 김관후 | newspaper = 제주의소리 | date = 2015-12-17| accessdate = 2016-01-05| language = ko}}</ref>
 
1948年12月、[[韓国陸軍士官学校|陸軍士官学校]]卒業(特別第7期)、任[[大尉]](軍番11638番)。
1950年7月、[[第2軍団 (韓国陸軍)|第2軍団]]作戦部長。
 
1952年、第28連隊長。同年10月の[[白馬高地の戦い]]に参加
 
1953年、陸軍大学卒業。
1961年、国家再建最高会議の常任委員、財政委員長、副議長を歴任。
 
1962年1月、中将に昇進<ref>{{Cite web |url = http://db.history.go.kr/item/level.do?levelId=npda_1962_01_24_x0001_0550 |title = 金鍾五中將 大將에 昇進 李周一少將은 中將으로 |publisher = 国史編纂委員会 |language = 韓国語 |accessdate = 2016-01-05 }}</ref>。3月、オリンピック委員会委員長兼[[大韓体育会]]会長。
 
1963年5月、同志会副会長。12月、予備役編入。
== 参考文献 ==
{{Refbegin}}
*{{citationcite book|和書|author =佐々木春隆 |title=朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで |year=1976 |publisher=[[原書房]] }}
{{Refend}}
 
[[Category:咸鏡北道出身の人物]]
[[Category:満州国の軍人]]
[[Category:朝鮮戦争の人物]]
[[Category:韓国陸軍の軍人]]
[[Category:韓国の政治家]]
[[Category:日中戦争の人物]]
[[Category:朝鮮戦争の人物]]
[[Category:1918年生]]
[[Category:2002年没]]