「エフェソス強盗会議」の版間の差分

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'''エフェソス強盗会議'''(エフェソスごうとうかいぎ、エフェソ陰謀公会、第2エフェソス公会議とも)とは、[[449年]][[小アジア]]の[[エフェソス]]で行われた[[キリスト教]]の会議である。[[448年]]の[[コンスタンティノポリス]]地方公会で異端とされたエウティケスは教義の撤回を拒み破門されたため、エウティケスの後援者の[[アレクサンドリア総主教庁|アレクサンドリア総主教]]ディオスコロスは[[東ローマ皇帝]][[テオドシウス2世]]の側近を動かし、エフェソスでの公会議を開く許可を得て、エウティケスの教義を正当化し、[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノポリス大主教]]<ref>コンスタンティノープルの[[総主教]]座「ローマと同等の特典」、これより直後(451年)の[[カルケドン公会議]](451年)に規則第28条で確立しているが([http://www.ccel.org/ccel/schaff/npnf214.xi.xviii.xxviii.html NPNF2-14. The Seven Ecumenical Councils - Christian Classics Ethereal Library])「総主教」称号は449年当時も、また451年当時も、未だ条文に使われておらず、同規則第28条条文においても称号「コンスタンディヌーポリ大主教の地位にとどまっていた」である。</ref>フラウィアノスをエフェソスに流刑に処した。強盗会議の名は、当時の[[ローマ教皇]][[レオ1世 (ローマ教皇)|レオ1世]]が皇后プリケイアに送った書簡に初出する。
 
== 脚注 ==