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{{Otheruses|[[教皇|ローマ教皇]]を最高指導者とする[[キリスト教]]最大の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]|キリスト教における、公同、普遍、普公とも訳される概念|カトリック (概念)|自らの「[[カトリック (概念)|カトリック]]性(普遍性)」を自認する他の教派|公同の教会}}
{{参照方法|date=2011年2月}}
[[Image:Basilica di San Pietro front (MM).jpg|thumb|250px|[[バチカン|バチカン市国]]南東端にあるカトリック教会の総本山、[[サン・ピエトロ大聖堂]]]]
{{Otheruses|[[ローマ教皇]]を中心とする[[キリスト教]]最大の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]|自らの「[[カトリック]]性(普遍性)」を自認する他の教派|公同の教会}}
{{キリスト教}}
[[Image:Basilica di San Pietro front (MM).jpg|thumb|250px|[[バチカン|バチカン市国]]南東端にあるカトリック教会の総本山、[[サン・ピエトロ大聖堂]]。]]
'''カトリック教会'''(カトリックきょうかい、ローマ・カトリック教会、[[ラテン語]]:{{Lang-la|'''Ecclesia Catholica'''}})は[[教皇|ローマ教皇]]を中心とし全世界に12億人以上の信徒を有する[[キリスト教]]最大の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]であり、地球上で最大。そ中心を[[ローマ]]の[[司団体座]]に置くことから'''ローマ教会'''、'''ローマ・カトリック教会'''とも呼ばれる<ref>[[八木谷涼子]] 『なんもわかキリスト教大事典』p58 朝日新聞出版 ISBN9784022617217</ref>
 
[[カトリシズム|カトリック]]」の語源は[[ギリシア語]]の「カトリケー ({{lang|el|καθολική}}:普遍的))」や[[ラテン語]]では「カトリクス(Catholicus) ({{lang|la|Catholicus}})」等で、「普遍的」「公同」などの意味である。日本ではかつてただし天主公カトリック」(普遍的)を自認・自称するキリストの教派は他にもあり([[#「カトリック」という名された|後述]])、「カトリック」の語彙は教派名にとどまらない概念を指すこともある{{Main|カトリック (概念)}}
 
カトリック教会自身による定義は[[教会憲章]](Lumen Gentium)」(Lumen Gentium<ref>[http://www.vatican.va/archive/hist_councils/ii_vatican_council/documents/vat-ii_const_19641121_lumen-gentium_en.html DOGMATIC CONSTITUTION ON THE CHURCH LUMEN GENTIUM] The Holy See(バチカン公式サイト)</ref>) にみられる「[[ペトロ]]の後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち([[司教]])によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。
 
== 名称 ==
{{キリスト教}}
[[東方教会]]([[正教会]]および[[東方諸教会]])と区別するため、カトリック教会と[[プロテスタント]]教会を総称して'''[[西方教会]]'''と呼ぶ場合もある。その中で、最近はあまり見かけないが、日本語表記においてプロテスタント教会を「'''新教'''」とも呼ぶことがあるのに対してカトリック教会を「'''旧教'''」と呼ぶ例もあった。日本で出版された歴史の本などにも「旧教」という言葉が使われていたことがあるが、カトリック教会の側が「旧教」を自称したことはない。
 
別の名称としては、日本ではかつて'''天主公教会'''(てんしゅこうきょうかい)と称していた。これはかつて神のことを「天主」と呼んで教えていたためで、[[大浦天主堂]]・[[カトリック浦上教会|浦上天主堂]]などの名称はこれに由来するものである。また「公教」の使用例としては「[[カテキズム|公教要理]]」「長崎公教神学校(現・[[長崎カトリック神学院]])」などがあったが、現在ではほとんどない。なお、日本語でまれに'''カソリック'''と表記されることもあるが、これは[[カトリック中央協議会]]では公式表記とはみなしておらず、日本のカトリック教会で「カソリック」という表記・呼称が使用されることは一切ない。
== 教説 ==
カトリック教会の教説(教え)は「[[聖書]]と[[聖伝]]」という言葉であらわされるように、[[旧約聖書]]、[[新約聖書]]および[[イエス・キリスト]]と[[使徒]]の教えに由来し、[[教父]]たちによって研鑽され、多くの議論を経て[[公会議]]などによって確立されてきたものである。特に[[宗教改革]]以降、[[トリエント公会議]]においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代では[[第2バチカン公会議]]でも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。
 
===「カトリック」という名称===
== 秘跡 ==
[[File:ChristianityBranches-2JP2.png|thumb|500px|right|[[キリスト教諸教派の一覧|‎キリスト教諸教派]]の成立の概略を表す樹形図。さらに細かい分類方法と経緯があり、この図はあくまで概略である。]]
カトリック教会は伝統的に七つの[[秘跡]]を認めてきた(なお、数字は『カトリック教会のカテキズム』(CCC)において説明がある箇所の項目番号であるので、詳細に関しては各項目の記述あるいは『カトリック教会のカテキズム』の該当箇所を参考のこと)。
[[1054年]]の[[大シスマ]]による[[東西教会の分裂]]以前の教会で、[[ニカイア信条]]・[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]および[[カルケドン信条]]を信仰する教会([[アリウス派]]や[[単性論]]の対義語という意味。[[正統教義]]ともいう)を指して「'''[[カトリック (概念)|カトリック]]'''」と呼ぶこともある。この場合は現在のカトリック教会と[[正教会]]を含む。ただしこれはカトリック教会側の見方であって、正教会は東西教会分裂以前の教会を指して「正教会」と呼ぶ。カトリック教会も東方正教会も、東西教会の分裂以前の教会の直接の正統な後継者を自認していること、そして「カトリック」(普遍性)も「オーソドックス」(正しい讃美)もいずれもが東西教会分裂以前の教会においても重要な概念であったためにいずれの見解も誤りではなく、自らの重視する概念に由来する教会名の方を過去の教会名にも当てはめるために、このような事象が必然的に生じている。現在のカトリック教会・正教会のいずれもが自らの「カトリック」(普遍性)・「オーソドックス」(正しい讃美)を自覚しておりこの2つは排他的概念ではないことには注意が必要である。
 
また、狭義の「カトリック教会」には、ローマ教皇を中心としながらも伝統的な独自の東方典礼を維持する[[東方典礼カトリック教会]]の諸教会があるほか、冒頭文にもあるように「カトリック」を自称・自認する教派は他にも[[復古カトリック教会]]など[[独立カトリック教会]]の諸教会があり、これらと区別する意味で'''ローマ・カトリック教会'''とも呼ばれる。{{Main|キリスト教諸教派の一覧#カトリック}}
*[[洗礼]] CCC1213-1284
東方典礼カトリック教会や復古カトリック教会などは日本国内には実質的に存在せず、また日本では[[カトリック中央協議会]]のほか各[[教区|司教区]]が「カトリック○○司教区」(あるいは「カトリック○○教区」)という法人名となっているので、一般的には「ローマ」を付けて「ローマ・カトリック教会」と呼ぶ必要はなく、日本のカトリック信者もただ単に「カトリック教会」と呼ぶことがほとんどである。しかし広義の「カトリック」であると自称する他のキリスト教の教派と区別する場合や、[[正教会]]・[[聖公会]]・[[プロテスタント]]など他の教派の信者・教徒からは、「ローマ・カトリック教会」と呼ばれることも多い。
*[[堅信]] CCC1285-1321
*[[聖体]] CCC1322-1419
*[[告解|ゆるしの秘跡]] CCC1422-1498
*[[病者の塗油]] CCC1499-153
*[[叙階]] CCC1536-1600
*[[婚姻の秘跡]] CCC1601-1666
 
== 教説・教義 ==
カトリック教会においての教説(教え)[[聖書]][[聖伝]]」という言葉あらわされるように[[旧約聖書]]、[[新約伝承書]]および[[イエス・キリスト]]と[[使徒]]両方に大きな権威を与てきに由来し、[[教父]]。特よって研鑽され、多くの議論を経て[[ヒエロニムス公会議]]以来何度とく改訂どによって確立されてきたものである。[[ヴルガータ使徒信条]]ばれる後期ラテび[[ニカイア・コンスタ語訳聖書は現代に至るまで公式なラィノポリス信条|ニケア・コ語訳聖書という扱いスタンティノープル信条]]受け信条としている<ref>『[[カトリック教会で聖書のカテキズム]]』194,195 (p65) ISBN4877501010</ref>。特に[[正典宗教改革]]に含まれる諸書を最終的に決定した公会議は以降、[[トリエント公会議]]においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代は[[第2バチカン公会議]]でも現代に生き教会として教義の意味を見直した
 
これらの教義は[[1992年]]に『[[カトリック教会のカテキズム]]』(CCC) として[[ローマ教皇庁|教皇庁]]により編纂され、順次各国語に翻訳されている。これは、いわゆるローマ・カトリック教会だけでなく[[東方典礼カトリック教会]]の規範にもなっている。なお、[[イエズス会]]、[[フランシスコ会]]などはローマ・カトリック教会の組織内部の[[修道会]]であり、教義([[カテキズム]])については同じであるため、「イエズス会派」「フランシスコ教団」などと呼んだりプロテスタントの各教派と同列に扱うのは誤りである。
カトリック教会が正典とする旧約聖書には[[七十人訳聖書]]には含まれていたが、[[ヘブライ語]]の[[マソラ本文]]に含まれていない文書がある。それらは[[第二正典]]という語で指される場合もあるが、トリエント公会議以降、正典に含めている(『[[新共同訳聖書]]』では第二正典の部分を正典に含めない宗派へ配慮して旧約聖書続編という名称になっている)。
 
=== 公会議 ===
日本語訳聖書においても、かつてカトリック教会と[[プロテスタント]]諸派では異なる聖書を用いてきた。しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『[[共同訳聖書]]』であり、『共同訳』の表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会でもっともよく用いられている『新共同訳聖書』である。
カトリック教会では21の公会議に特別な権威を付与している。21の公会議とは年代順に、[[第1ニカイア公会議]]、[[第1コンスタンティノポリス公会議]]、[[エフェソ公会議]]、[[カルケドン公会議]]、[[第2コンスタンティノポリス公会議]]、[[第3コンスタンティノポリス公会議]]、[[第2ニカイア公会議]]、[[第4コンスタンティノポリス公会議]]、[[第1ラテラン公会議]]、[[第2ラテラン公会議]]、[[第3ラテラン公会議]]、[[第4ラテラン公会議]]、[[第1リヨン公会議]]、[[第2リヨン公会議]]、[[ヴィエンヌ公会議]]、[[コンスタンツ公会議]]、[[フィレンツェ公会議]]、[[第5ラテラン公会議]]、[[トリエント公会議]]、[[第1バチカン公会議]]、そして[[第2バチカン公会議]]である。
 
公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方[[正教会]]([[ギリシャ正教]])では最初の7つの公会議のみを認めており、[[東方諸教会]]のうち[[非カルケドン派正教会|非カルケドン派]]では最初の3つのみを認めている。さらに[[ネストリウス派]]の諸教会([[アッシリア東方教会]]など)は最初の2つしか認めていない。
現代の[[ミサ]]の中では、平日には福音朗読と福音以外の聖書箇所の朗読、主日(日曜日)と教会祝日には、福音朗読と福音以外の聖書朗読が二つのあわせて三つの朗読がおこなわれる。
 
=== ===
カトリック教会においては、[[ヒエロニムス]]以来何度となく改訂されてきた[[ヴルガータ]]とよばれる後期[[ラテン語]]訳[[聖書]]が公式な聖書とされてきた。現在は各国語に翻訳されている。カトリック教会で聖書[[正典]]に含まれる諸文書を最終的に決定した公会議は[[トリエント公会議]]である。カトリック教会が正典とする[[旧約聖書]]には、[[七十人訳聖書]]には含まれていたが[[ヘブライ語]]の[[マソラ本文]]に含まれていない文書がある。それらは[[第二正典]]という語で指される場合もあるが、正典に含めている。
[[ファイル:BentoXVI-51-11052007 (frag).jpg|thumb|ブラジルでのミサにおける教皇ベネディクト16世]]
 
[[日本語訳聖書]]においても、かつてカトリック教会と[[プロテスタント]]諸派では異なる翻訳による聖書を用いてきた。しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『[[共同訳聖書]]』であり、表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会で公式に用いられている『[[新共同訳聖書]]』である。なお、『新共同訳聖書』では、上記旧約聖書の第二正典の部分を、これを正典に含めないプロテスタントなど他教派へ配慮して「旧約聖書続編」という名称で掲載している。
カトリック教会の信仰生活の中心にあるのは聖体祭儀のミサである。[[日曜日]]と大祝日にミサにあずかることは信徒としてのつとめであるとされている。
 
現代のカトリック教会の[[ミサ]]の中では、[[主日]]([[日曜日]]<ref name="shujitsu missa">主日のミサは、日曜日だけでなく前日の土曜日の夜のミサも含む。</ref>)と教会祝日には、[[福音書]]朗読と福音以外の聖書朗読が二つの合わせて三つが朗読される。それ以外の平日のミサでは、福音書朗読と福音以外の聖書箇所の二つが朗読される。
ミサ以外の重要な典礼行為として「[[聖務日課]]」があげられる。これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパと呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。これらに加えていくつかの祈りが一日の中でおこなわれる(かつて九時課、六時課、三時課とよばれた)。それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。
 
=== 教義秘跡 ===
カトリック教会は伝統的に7つの[[秘跡]]([[サクラメント]])を認めてきた。秘跡とは、[[神の恵み]]を実際にもたらす感覚的しるしで、イエス・キリストによって制定され、教会にゆだねられたものである<ref>[[カトリック教会のカテキズム]]より。(『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』137頁、カトリック中央協議会 ISBN 978-4-87750-153-2)</ref>。
カトリック教会では21の公会議に特別な権威を付与している。21の公会議とは年代順に、[[第1ニカイア公会議]]、[[第1コンスタンティノポリス公会議]]、[[エフェソ公会議]]、[[カルケドン公会議]]、[[第2コンスタンティノポリス公会議]]、[[第3コンスタンティノポリス公会議]]、[[第2ニカイア公会議]]、[[第4コンスタンティノポリス公会議]]、[[第1ラテラン公会議]]、[[第2ラテラン公会議]]、[[第3ラテラン公会議]]、[[第4ラテラン公会議]]、[[第1リヨン公会議]]、[[第2リヨン公会議]]、[[ヴィエンヌ公会議]]、[[コンスタンツ公会議]]、[[フィレンツェ公会議]]、[[第5ラテラン公会議]]、[[トリエント公会議]]、[[第1バチカン公会議]]、そして[[第2バチカン公会議]]である。
*[[洗礼]] CCC1213-1284
*[[堅信]] CCC1285-1321
*[[聖体]] CCC1322-1419
*[[ゆるしの秘跡|ゆるし]] CCC1422-1498
*[[病者の塗油]] CCC1499-1532
*[[叙階]] CCC1536-1600
*[[婚姻の秘跡|結婚]] CCC1601-1666
:数字は『[[カトリック教会のカテキズム]]』 (CCC) において説明がある箇所の項目番号を表すもので、詳細に関しては各項目の記述あるいは『カトリック教会のカテキズム』の該当箇所を参考のこと。
 
=== 教義についての他教派との関係 ===
公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方[[正教会]]([[ギリシャ正教]])では最初の7つの公会議のみを認めており、[[非カルケドン派]]([[東方諸教会]]=いわゆる単性論教会)では最初の3つのみを認めている。さらに[[ネストリウス派]]の諸教会(アッシリア東方教会など)は最初の2つしか認めていない。また近年出現したキリスト教系新興宗教の大多数が、公会議の全ての権威や歴史的信仰宣言をことごとく否定する傾向がある。
カトリック教会では、[[1054年]]の[[正教会]]との分裂や、それよりもはるかに古い[[エフェソ公会議]]や[[カルケドン公会議]]における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であると捉えている。それをよく示すのは、[[1994年]]11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言<small>([[:en:Common Christological Declaration Between the Catholic Church and the Assyrian Church of the East|英語版]])</small><ref>[http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/chrstuni/documents/rc_pc_chrstuni_doc_11111994_assyrian-church_en.html COMMON CHRISTOLOGICAL DECLARATION BETWEEN THE CATHOLIC CHURCH AND THE ASSYRIAN CHURCH OF THE EAST] The Holy See(バチカン公式サイト)</ref>』である。これはカトリック教会の[[教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]と[[アッシリア東方教会]]の[[総主教]]{{仮リンク|マル・ディンハ4世|en|Dinkha IV}}の間で調印された。アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は、[[431年]]のエフェソ公会議で争われた「[[テオトコス論争]]」という[[聖母マリア]]の称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。『共同宣言』では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。
 
さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側では、カトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、[[教皇|ローマ教皇]]の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立は[[フィリオクェ問題]]という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは十字軍問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。カトリック教会で用いられる「教導権」という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は[[神学者]]のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解すると必ず矛盾や対立が生じることになると考える。[[ユダヤ人]]の教育において、指導者が[[トーラー]]を声に出して読みながら、覚えさせるという伝統があるが、これは[[ヘブライ語]]の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。
[[1054年]]の正教会との分裂よりもはるかに古いエフェソ公会議やカルケドン公会議における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であるとカトリック教会は捉えている。それをよく示すのは、[[1994年]]11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言』である。これはカトリック教会の[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]と[[アッシリア東方教会]]の大主教[[マル・ディンハ4世]]の間で調印された。
 
カトリック教会と[[プロテスタント]]の諸教会との間での教義的な差異は、東方教会よりさらに大きい。プロテスタントは、カトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、[[2007年]]の「[[教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答]]」において「16世紀の[[宗教改革]]から生まれたキリスト教共同体([[プロテスタント]])は、[[使徒継承]]による[[司祭]]職の[[秘跡]]を欠くため、カトリックの教えによれば、固有の意味で『教会』と呼ぶことはできない」としている<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/ecclesiology07/index.htm 教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答(日本語訳)] カトリック中央協議会</ref>。
アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は[[431年]]のエフェソ公会議で争われた「[[テオトコス論争]]」という[[聖母マリア]]の称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。「共同宣言」では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。
 
他方、[[エキュメニズム]](教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、たとえば[[日本聖書協会]]によって[[1987年]]に刊行された『[[新共同訳聖書]]』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されたものである(ただし新共同訳聖書に[[日本ハリストス正教会|日本正教会]]は参加していない)。また日本におけるカトリック教会では、[[2000年]]2月15日から[[日本聖公会]]と同じ「[[主の祈り]]」の日本語訳が使用されている<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/prayers/00lordpr.htm 日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳]</ref>。
さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側ではカトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも、互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、ローマ教皇の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立は[[フィリオクェ問題]]という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは十字軍問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。
 
=== 奇蹟 ===
カトリック教会で用いられる教導権という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は[[神学者]]のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解するとかならず矛盾や対立が生じることになると考える。イエスは聖霊を送って教会を導くことを約束しているが、この導きはカトリック教会の権威が信仰と道徳に関することについて発言するときに現れるというのがカトリックによる教導権の解釈である。ただ、これは決して聖霊が個人が導かないといっているわけではない。
カトリック教会の公認、未公認、または非公認のあらゆる奇蹟がある。
{{main|聖母の出現|不思議のメダイ|列聖}}
 
== 典礼 ==
[[ユダヤ人]]の教育において、指導者が[[トーラー]]を声に出して読みながら、覚えさせるという伝統がある。これはヘブライ語の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。
[[ファイル:BentoXVI-51-11052007 (frag).jpg|thumb|150px|ブラジルでのミサにおける教皇ベネディクト16世]]
 
カトリック教会の信仰生活の中心にあるのは、聖体祭儀の'''[[ミサ]]'''である。ミサの中で信者は[[聖体]]の秘跡を受ける([[聖体拝領]])。[[主日]]<ref name="shujitsu missa" />と守るべき祝日にミサにあずかることは、信徒としての務めであるとされている。
カトリック教会と[[プロテスタント]]の諸教会との間での教義的な差異は東方教会よりさらに大きい。プロテスタントはカトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、[[2007年]]の「[[教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答]]」においてプロテスタントが教会であることを否定している。
 
ミサ以外の重要な典礼行為として、「[[聖務日課]]」があげられ、修道院などで必ず行われている。これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパ(ヴェスペレ)と呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。これらに加えていくつかの祈りが一日の中で行われる(かつて九時課、六時課、三時課と呼ばれた)。それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。
他方、[[エキュメニズム]](教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、日本におけるカトリック教会では、[[日本聖公会]]と同じ「[[主の祈り]]」の日本語訳が2000年2月15日から使用されている<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/prayers/00lordpr.htm 日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳]</ref>。また、[[日本聖書協会]]による『[[新共同訳聖書]]』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されている(ただし新共同訳聖書に[[日本正教会]]は参加していない)。
 
== 聖職者と組織 ==
=== ローマ教皇と枢機卿団 ===
[[画像:Pope Benedictus XVI january,20 2006 (2).JPG|thumb|150px|ローマ教皇(現名誉教皇)<br>[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]]]
カトリック教会が他のキリスト教諸教派と比べて特徴的な点として、まずあげられるのは[[教皇|ローマ教皇]]と信徒のつながり位置付けである。ローマ教皇とは、カトリック教会の総大司教代表者で、カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(厳密に[[日本語]]で法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言い方は日本国にとっての[[バチカン市国]]の首長を表す外交用語でしかない)。ローマ教皇は[[使徒]][[ペトロ]]による[[使徒座]]の後継者であり、現在は[[バチカン]]に居住する。なお、使徒座という言葉はバチカン市国の行政組織を指す場合もあり、その用法においては[[ローマ教皇庁]]とも呼ばれる。バチカン市国は[[1929年]]に成立した[[ミニ独立家]]であるが、カトリック教会が政治的に特定の国に組み入れられることなく、独立していることを示す意味がある。
 
[[カトリック教会の[[カテキズム]]』第882項は『教会憲章(Lumen Gentium)(Lumen Gentium)』を引用して次のように述べている。
:「『教皇が、ローマの[[司教]]にしてペトロの後継者である』ことが、変わらず目にみることのできる信仰の源泉にして基礎である。」
教皇首位権はペトロに由来する立場と権能によって行使される[[教皇不可謬説|教皇不可謬性]]を含む。これは「信仰と道徳に関して、教皇が教会の頭として使徒座 (Ex Cathedra) から荘厳に宣言する」場合に関して、教皇は誤り得ないという教義である。これはあくまで非常に限定された場合であり<ref>多くの神学者の見解では、教皇不可謬権が行使されたのは[[1854年]]の「(聖母の)[[無原罪の御宿り]]」と[[1950年]]の「[[聖母の被昇天]]」の2例だけである。詳細は[[教皇不可謬説]]を参照。</ref>、通常の理解ではその首位権というのは、全司教の中におけるローマ司教の優位権のことを指している。
 
教皇選挙に関する最新の規定は、[[1996年]]の[[使徒憲章]]「ウニベルシ・ドミニ・グレギス (Universi Dominici Gregis)」に示されている。そこで定められているのは、教皇選挙においては選挙者たる枢機卿団は外界との連絡から隔離され、[[システィーナ礼拝堂]]において議論と投票を繰り返すということである。この選挙を「[[コンクラーヴェ]]」という。新教皇の決定にいたるためには投票者の3分の2以上の票を集める必要がある。また慣例によって、教皇選挙に参加できるのは80歳未満の[[枢機卿]]に限られる。
特別な状況においてのみ、教皇首位権はペトロに由来する立場と権能によって行使される[[教皇不可謬性]]さえ含むものとなりうる。これは「信仰と道徳に関して、教皇が教会の頭として使徒座(Ex Cathedra)から荘厳に宣言する」場合のみに関して教皇は誤り得ないという考え方である。これはあくまで非常に限定された場合であり、通常の理解ではその首位権というのは、全司教の中におけるローマ司教の優位権のことを指している。
 
[[教会法]]の規定によって、教皇は自主的に退位することが可能であり、歴史的にも教皇が退位したことは何度かある。[[1294年]]に退位した[[ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス5世]]は、[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の『[[神曲]]』の中で「教皇位退位の咎」により地獄で責め苦を受けるさまを描かれているが、これはあくまでダンテの解釈であり、カトリック教会からは[[1313年]]に[[列聖]]されている。[[1415年]]に[[大シスマ]]の終息のために退位に同意した[[グレゴリウス12世 (ローマ教皇)|グレゴリウス12世]]以後約600年にわたって教皇退位は行われず、教皇は事実上の終身制ともみなされていたが、[[2013年]]2月に[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が健康問題を理由に退位を表明した<ref>{{Cite news
教皇選挙に関する最新の規定は[[1996年]]の[[使徒憲章]]「ウニベルシ・ドミニ・グレギス(Universi Dominici Gregis)」に示されている。そこで定められているのは、教皇選挙においては選挙者たる枢機卿団は外界との連絡から隔離され、[[システィーナ礼拝堂]]において議論と投票を繰り返すということである。この選挙を[[コンクラーヴェ]]という。新教皇の決定にいたるためには投票者の三分の二以上の票を集める必要がある。また慣例によって、教皇選挙に参加できるのは80歳未満の[[枢機卿]]に限られる。
|url = http://www.asahi.com/international/update/0211/TKY201302110235.html
|title = ローマ法王、28日に退位「職務継続が難しくなった」
|work = asahi.com
|newspaper = [[朝日新聞]]
|date = 2013-02-11
|accessdate = 2013-04-17
}}</ref>([[ベネディクト16世の退位]])。
 
枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な[[司教区]]の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿であるという慣例を逆手にとって、80歳以上の聖職者で教会に大きな貢献をしたものが名誉職的に枢機卿に挙げられることもよく行われる。そのような枢機卿の中には、神学者や[[ベトナム]]などで、政府によって長期にわたって投獄されていたような司教も含まれる。
教会法の規定によって、教皇は自主的に退位することが可能である。歴史的にも自主的に教皇が退位したケースはいくつかみられる。しかし、最近のものでも[[1415年]]に[[大シスマ]]の終息のために退位した[[グレゴリウス12世 (ローマ教皇)|グレゴリウス12世]]のケースであり、それ以降は現代に至るまで見られない。他に退位した有名な教皇として[[1294年]]に退位した[[ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス5世]]のケースがある。彼は[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の『[[神曲]]』の中で教皇位退位の咎により地獄で責め苦を受けるさまを描かれているが、これはあくまでダンテの解釈であり、カトリック教会からは[[1313年]]に[[列聖]]されている。
 
枢機卿制は、[[1059年]]に教皇選挙権がローマとその郊外に在住する聖職者に限定されたことに由来する。これは枢機卿団の本来の目的が教皇の顧問団であったことを示している。枢機卿を表す[[英語]]のcardinal という言葉は[[ラテン語]]のカルド(蝶番)に由来している。やがて、ローマ以外の聖職者でも教皇に任命されることで枢機卿団に加わり、ローマで働くという制度が確立してゆく。
枢機卿団は教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な[[司教区]]の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿であるという慣例を逆手にとって、80歳以上の聖職者で教会に大きな貢献をしたものが名誉職的に枢機卿にあげられることもよくおこなわれる。そのような枢機卿の中には、神学者や[[ベトナム|ヴェトナム]]などで政府によって長期にわたって投獄されていたような司教も含まれる。
 
枢機卿制は[[1059年]]に教皇選挙権がローマとその郊外に在住する聖職者に限定されたことに由来する。これは枢機卿団の本来の目的が教皇の顧問団であったことを示している。枢機卿をあらわすカーディナルという言葉はラテン語のカルド(ちょうつがい)に由来している。やがて、ローマ以外の聖職者でも教皇に任命されることで枢機卿団に加わり、ローマで働くという制度が確立していく。
 
=== 司教 ===
[[司教]]は使徒たちの後継者であり、教会を束ねえ、聖化し、統治すにあめを与えられるものである。ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。なお、[[東方の本来の職務は自らの会]]([[東方典礼カトリック会]])管轄一部ある。通常の司教」のほかに、([[大司教]]など職務の多い)司教を補佐するために任命される「恊働司教や「補佐司教」などの職名存在する。司いて、が何らか事情で空位首長となった場合、恊働司教は司教の職務を当然引き継ぐことになるが、補佐司教にはそのような権限が与えられていない。また、特定の教区を管轄していなくても、教皇庁における職務につくために司教に任命されるケースもある。
 
司教の本来の職務は、[[教区]]の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、[[司祭]]・[[助祭]]の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている<ref>『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』175頁</ref>。通常の司教(教区司教)のほかに、([[大司教]]など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「[[補佐司教]]」が任命されることがある<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/news/kohda.htm 「東京大司教区に補佐司教任命」(2004年12月2日 カトリック中央協議会)]</ref>。司教座(教区司教)が何らかの事情で空位となった場合、協働司教は直ちに教区司教に着任して職務を引き継ぐことになるが、補佐司教はそのような継承権を持たない。また、特定の教区を管轄していなくても、教皇庁における職務に就くために司教に任命されるケースもある。
 
司教は助祭[[按手]]と祈りによって司祭とならび・助祭に[[叙階]]の[[秘跡]]を授ける権能を与えられるが、司教もまた叙階の秘跡によってその地位を受けるものである(ただし司教叙階の場合は、教皇から委任された司教だけが司教叙階を執行することができ、少なくとも2名の共同聖別司教が必要である、と教会法で規定されている)。叙階の秘跡の効果は生涯消えることはないため、高齢や支障によって司教の実質的な職務を引退した後や、司教の職務を停止された場合でも司教の権能・称号は終生保たれる。なぜなら叙階は秘跡であるため消<ref>『カトリック教会の教ることが』231頁(日本カトリック司教協議会 監修・カトリック中央協議会 発行) ISBN 978-4-87750-106-8</ref>。いと考えられているからである。お、司教の中には「大司教」や「総大司教」といった地位に上げられるものもいるが、これらは叙階の秘跡による位階ではなく、教区の規模に応じて定められた教会行政上の職掌を表すものである(すなわち「例えば、司祭司教に叙階されることはあっても、司教大司教に叙階されることはない)。東方教会のあるものは総大司教が首長となっている
 
地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。これを司教会議([[シノド|シノドス]])という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の3分の2以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。
 
=== 司祭と助祭 ===
[[司教]]、[[司祭]]と[[助祭]]によってその職務を補助されている。カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)、[[独身]][[男性]]に限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。司祭には、[[教区]]に属する[[教区司祭]](かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、[[修道会]]に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。
 
歴史的には使徒たちの多くや初期の聖職者たちは既婚者であったが、[[西方教会]]においては古代教会から司祭の独身制は推奨されており、[[修道会]]出身の[[教皇]][[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]]による[[グレゴリウス改革]]以降、上級聖職者([[司教]][[司祭]][[助祭]])の[[キリスト教における独身制|独身制]]が徹底されてきた。ただ例外として、[[東方典礼]]を行う教会([[東方典礼カトリック教会]])や[[プロテスタント]]などからの改宗者の場合は既婚者が特別例外的に認められる事がある。また、[[第2バチカン公会議]]以降、[[終身助祭]](司祭となる事を前提としない助祭)に関してはの制度が再興され、この場合のみ既婚男性の叙階が認められている。しかし、どちらにしても叙階後の[[結婚]]や既婚者の妻が亡くなった場合の再婚は認められていない。
 
また、教皇[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という下級叙階と聖職(下級品級)おばれるび[[副助祭]]という聖職位階が存在したが、[[1972年]]8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によって[[1973年]]に廃止され、現代では[[聖体奉仕者]][[祭壇奉仕者]]2の「奉仕職」改め、かつてのような聖職位階として扱われることはなく「信徒使徒職」とよばれ、誰にでも開かれなっ<ref>『カトリック教会となっている教え』251-254頁</ref>
 
今も日本の歴史書や歴史教科書にそのように書かれることがあるが、かつてのカトリック教会においては教皇を頂点に、司教、司祭、信徒がいるというピラミッド型のヒエラルキー構造が強調される傾向があった。しかしこれは[[第2バチカン公会議]]以降に見直され、現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとしてう「神る。こ信徒教会論使命は「信徒使徒職が見直さと呼ば、従来ている<ref>『カトリック教会聖職者至上主義の修正がはかられた教え』252頁</ref>
 
== カトリック信徒の分布 ==
[[Image:Catholic population.svg|thumb|250px|人口に占めるカトリック信徒の比率 色が濃くなるほど比率が高い]]
全世界に存在する(洗礼を受けた)カトリック信徒の総数は12億人に上るとみられている。カトリック信徒は世界中に存在しているが、特に多いのは[[ヨーロッパ]]と[[アメリカ大陸]]である。[[2000年]]度の統計では、南北アメリカに5億2000万人、ヨーロッパに2億8000万人、[[アフリカ]]に1億3000万人、[[アジア]]に1億700万人、[[オセアニア]]に800万人である。(参考:http<ref>{{Cite web
|url = http://www.ewtn.com/library/chistory/annu2000.htm)htm
|accessdate = 2015-09-04
|title = ANNUARIUM STATISTICUM ECCLESIAE: Published for 2000
}}</ref>。
 
ヨーロッパでカトリック信徒の多い国は、ラテン諸国といわれる国で[[フランス]]、[[イタリア]]、[[スペイン]]、[[ポルトガル]]、非ラテン諸国では[[オーストリア]]、[[ベルギー]]、[[クロアチア]]、[[チェコ]]、[[ハンガリー]]、[[アイルランド]]、[[リトアニア]]、[[マルタ]]、[[ポーランド]]、[[スロヴァキア]]、[[スロヴェニア]]である。[[ドイツ]]、[[オランダ]]、[[スイス]]および[[北アイルランド]]はカトリックとプロテスタントがほぼ同数である。
 
アメリカ大陸では特に[[南アメリカ]]に信徒が多く、特に多いのは[[メキシコ]]、[[ブラジル]]、[[アルゼンチン]]、[[コロンビア]]、[[パラグアイ]]である。
 
アジアではスペインポルトガルの[[植民地]]であった歴史的背景から[[フィリピン]]、[[東ティモール]]にカトリック信徒が多い。[[大韓民国]]でも[[第二次世界大戦]]後から信徒の数が大幅に増えている
 
英語を用いる国ではアイルランド以外は一般的にカトリックはマイノリティーであり、イタリアやアイルランド、ドイツといったカトリック国からの移民の子孫が多い。
 
== 日本におけるカトリック教会 ==
{{main|[[日本におけるカトリック教会]]}}
[[日本]]では[[2008年]][[12月]]現在の集計で、信徒数は45万2138人<ref>カトリック教会・情報ハンドブック2010より</ref>。人口比は0.35%だが、[[長崎県]](カトリック長崎教区【大司教区】)では歴史的経緯もあり([[日本キリスト教史]]、[[隠れキリシタン]]を参照)人口の4%超と突出して多い([http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/data/st07/statistics2007.pdf カトリック教会現勢2007年])。宗教法人法の組織は、[[カトリック中央協議会]]。
 
== カトリック教会への批判・論争、事件など ==
=== 歴史 ===
[[宗教改革]]以来、[[プロテスタント]]から、教皇の首位権・使徒継承性に対して「『聖書』の曲解、根拠なき伝承([[聖伝]])に基づくもの」と批判されている。同様にプロテスタントが『聖書』に根拠を持たないと主張する「[[秘跡]]」や「[[聖母マリア|マリア]]崇敬・[[聖人#キリスト教|聖人]]崇敬<ref>カトリック教会では、聖母マリアや諸聖人を神として敬っているわけではないため、「マリア崇拝」等と称するのは誤りである。</ref>」について批判を受ける。歴史的には、カトリック教会が封建領主として君臨したこと、[[マルティン・ルター]]によって、[[聖遺物]]崇敬・[[贖宥状]](免罪符)発行を批判されたが、[[対抗改革]]によって中止された。一方、改革の中で[[原理主義]]的姿勢が強まって「[[禁書目録]]」の作成がなされたが、このような動きは[[学問の自由]]や[[言論の自由]]を求める[[学者]]と衝突を招いた。<!--
{{Main|日本キリスト教史}}
 
カトリック教会を批判しようと、まことしやかに、歴史学的には正しくないお話が語られることがある。カトリック教会は、コペルニクスの地動説が書かれた『天球回転論』の出版を容認しており、人々に自由に読ませていた。この点、カトリック教会はおおらかであったのである。実は、地動説を最初に宗教的に批判したのは、プロテスタントのマルティン・ルターだった<ref>ルターは『天球回転論』の出版の数年前に、地動説の内容の噂を聞いて次のように発言した(出典:高橋 憲一『コペルニクス・天球回転論』解説)
=== 教区 ===
:この愚者は天文学全体を転倒させようとしている。ヨシュアが、留まれ、と言ったのは太陽に対してであって、地球に対してではない([[マルティン・ルター]]の発言)。
日本には16の[[教区]](司教館)が置かれ、それぞれ[[大司教]]・[[司教]]が教区長を務める。このうち東京、大阪、長崎の3カ所はいくつかの司教区を統括する[[教会管区]]となっており、同時に[[大司教区]]となっている。またカトリック教会では宗教法人法上の法人格は各司教区となっており、個々の教会は法人格を持たない。[[司教座]]の置かれる教会は「[[司教座聖堂]](カテドラル)」と呼ばれ、その所在する都市名が司教区名となる。なお、[[2001年]](平成13年)に実施された[[さいたま市]]の合併により、従来は浦和教区という名称であった教区は、[[2003年]](平成15年)にさいたま教区へ名称が変更された。
実際は地動説に対して最初に抑圧的な態度をとったのはルターなどのプロテスタントだったのである。
プロテスタンティズムというのは、その根本に『聖書』を文字通りに解釈する方針を含んでいる(注 - [[:en:Five solae]] [[五つのソラ]])。だから『聖書』の記述と矛盾する説に対しては非常に批判的となる。</ref><ref>注 - ガリレオは、同時代の学者に対して、不必要なまでに自著で批判して喧嘩を売ったり、権力者の機嫌もそこねるようなことも繰り返し、彼らを敵にまわしてしまうようなことを繰り返していたため、結果として当時の貴族や権力者たちから選出される教皇まで政治的に巻き込まれて、彼の説を禁止せざるをえなくなった、といういきさつがある。(マリアーノ・アルティガス『ローマのガリレオ:天才の栄光と破滅』大月書店, 2005)</ref><ref>ところが、後の時代の、プロテスタント信者の科学者などによって、ことさらカトリックを悪者にしようと、自分たちに都合よく話をねじまげてまことしやかに語ることが横行した。また19世紀、科学者たちは世の中の人々から価値をあまり認められておらず、彼らは何とか社会的に認めてもらいたいという政治的な意図から、勧善懲悪的に自分たちが悪と闘う善人であるかのようなフィクションを作って語ること(一種の[[偽史]]を語ること)をしばしば行われるようになった。その結果、歴史資料が実際に示すのとは異なる、そうした嘘のストーリーが世間に、自然科学者の間でまことしやかに流布するようになったのであり、現代でも彼ら自然科学者は若い人たちにそうした嘘を語りたがる。</ref>。本当は、ガリレオ・ガリレイは熱心なカトリック信者であった。だから娘を若いうちに修道院に入れたのであった。-->
 
[[啓蒙主義]]者にとっては、カトリック教会による社会生活の支配は克服すべき課題であった。[[フランス革命]]では[[ロベスピエール]]が宗教を廃止し、「[[理性]]」(あるいは、「最高存在」)に対する崇拝をそれまでの宗教に代わるものと位置付けた。このような過程を経て、カトリック教会は寛容政策に転換し、信徒や聖職者が他宗教の祭祀・儀式に列席することも認められるようになった。しかし、[[21世紀]]においても(プロテスタントの[[保守]]的な教会同様に)[[胎児]]も含めた、かけがえのない[[生命]]を尊重するという崇高な理念に基づき[[人工受精]]や[[中絶]]、[[避妊]]、[[同性愛]]、[[ES細胞]]研究への反対姿勢は変えておらず、この点を批判されることがある(ただしこれらについては他教派や[[プロライフ]]の関係者にも賛成する者がおり、賛成者とカトリック教会が連携することもある。一例として[[マンハッタン宣言]]を参照)。「妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだ」という教会関係者の発言が物議を醸しており、一種の"[[教条主義]]"とも揶揄されている{{誰|date=2010年7月}}。
各司教区と(司教座聖堂)、管轄都道府県、各教区の小教区・信者数はそれぞれ次のとおり。(出典:カトリック教会・情報ハンドブック 2010 ISBN 978-4-87750-541-7 より)
 
なお、プロテスタントや[[聖公会]]の中には“教会内における[[女性]]の首位権”(女性聖職者または女性牧師)を認める教会もあるが、カトリック教会では女性は司祭に叙階されない。教義上、聖職者になれるのは[[男性]]信者に限られている。[[フェミニスト]]はこれに対する批判を行う者もいるが、カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「[[女性差別]]」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。また、かつては女性助祭や旧約時代の女性預言者も存在したこともあり、この制度が復活することがないとは言えない。
* 札幌教区(北一条教会) - [[北海道]](小教区57 信者数17,932人)
* 仙台教区(元寺小路教会) - [[宮城県]]・[[青森県]]・[[岩手県]]・[[福島県]](小教区53 信者数10,944人)
* 新潟教区(新潟教会) - [[新潟県]]・[[秋田県]]・[[山形県]](小教区31 信者数7,337人)
* さいたま教区(浦和教会) - [[埼玉県]]・[[茨城県]]・[[栃木県]]・[[群馬県]](小教区52 信者数21,007人)
* 東京教区【大司教区】([[東京カテドラル聖マリア大聖堂|関口教会]]) - [[東京都]]・[[千葉県]](小教区73 信者数95,877人)
* 横浜教区([[カトリック山手教会|山手教会]]) - [[神奈川県]]・[[静岡県]]・[[山梨県]]・[[長野県]](小教区84 信者数57,229人)
* 名古屋教区([[名古屋カテドラル聖ペトロ・聖パウロ大聖堂|布池教会]]) - [[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[富山県]]・[[石川県]]・[[福井県]](小教区50 信者数26,374人)
* 京都教区(河原町教会) - [[京都府]]・[[滋賀県]]・[[奈良県]]・[[三重県]](小教区54 信者数18,638人)
* 大阪教区【大司教区】([[大阪カテドラル聖マリア大聖堂|玉造教会]]) - [[大阪府]]・[[和歌山県]]・[[兵庫県]](小教区81 信者数54,297人)
* 広島教区([[世界平和記念聖堂|幟町教会]]) - [[広島県]]・[[鳥取県]]・[[島根県]]・[[岡山県]]・[[山口県]](小教区41 信者数20,469人)
* 高松教区(桜町教会) - [[香川県]]・[[愛媛県]]・[[徳島県]]・[[高知県]](小教区26 信者数5,027人)
* 福岡教区([[大名町教会]]) - [[福岡県]]・[[佐賀県]]・[[熊本県]](小教区55 信者数31,274人)
* 長崎教区【大司教区】([[浦上教会]]) - [[長崎県]](小教区71 信者数64,218人)
* 大分教区(大分教会) - [[大分県]]・[[宮崎県]](小教区26 信者数6,829人)
* 鹿児島教区(ザビエル教会) - [[鹿児島県]](小教区29 信者数9,542人)
* 那覇教区(開南教会) - [[沖縄県]](小教区13 信者数5,684人)
 
=== 日本で活動する主な修道会 ===
==== 男子修道会 ====
*[[イエズス会]]([[上智大学]]、[[栄光学園中学校・高等学校|栄光学園]]などを経営)
*[[コンベンツァル聖フランシスコ修道会]]([[学校法人仁川学院|仁川学院]]、[[聖母の騎士高等学校]]、[[聖母の騎士社]]、などを経営)
*[[神言会]]([[南山大学]]などを経営)
*聖ヴィアトール修道会([[洛星中学校・高等学校]]を経営)
*トラピスト会([[厳律シトー会]])
*マリア会([[海星中学校・高等学校 (長崎県)|長崎海星高校]]などを経営)
*[[レデンプトール会]]
など多数
 
==== 女子修道会 ====
*[[イエズスの聖心会|聖心会]]([[聖心女子大学]]などを経営)
*ヌヴェール愛徳修道会(聖母女学院及び聖母学院の母体修道会)
*[[聖霊奉侍布教修道女会|聖霊会]]
など多数
 
=== 著名人の信徒 ===
*[[青田昇]](元プロ野球選手・監督)
*[[アグネス・チャン]](歌手)<ref>[http://www.asahi.com/culture /news_entertainment/TKY200709220107.html) アグネス・チャンさん、マザー・テレサの本を出版]</ref>
*[[麻丘めぐみ]](歌手)
*[[麻生太郎]](自民党衆議院議員、第92代[[内閣総理大臣]])
*[[天野貞祐]](哲学者 文部大臣)
*[[有吉佐和子]](作家・小説家)
*[[磯村尚徳]](ジャーナリスト)
*[[市川森一]](脚本家・劇作家・小説家)
*[[稲田朋美]](自民党衆議院議員)
*[[犬養道子]](犬養毅の孫)
*[[井上ひさし]](作家)
*[[宇津井健]](俳優)
*[[江藤俊哉]](ヴァイオリニスト)
*[[遠藤周作]](作家)
*[[大友直人]](指揮者)
*[[大原富枝]](作家)
*[[岡田真澄]](俳優)
*[[緒方貞子]](国際政治学者)
*[[小川国夫]](作家)
*[[小倉昌男]](ヤマト運輸社長)
*[[加賀乙彦]](作家、精神科医)
*[[加藤周一]](評論家)
*[[加藤一二三]](棋士)
*[[川崎麻世]](俳優)
*[[菊池武範]](タイガー魔法瓶創設者)
*[[小林陽太郎]](元富士ゼロックス会長)
*[[沢田昭夫]](筑波大学名誉教授、文学)
*[[三遊亭らん丈]](落語家・真打)
*[[新谷のり子]](歌手)
*[[須賀敦子]](作家)
*[[曽野綾子]](作家)
*[[高田敏江]](女優)
*[[高田渡]](フォーク歌手)
*[[高橋たか子]](作家、[[高橋和巳]]夫人)
*[[田中耕太郎]](商法・法哲学者、元文部大臣、第2代最高裁長官)
*[[田中澄江]](作家)
*[[丹下健三]](建築家 東京カテドラル聖マリア大聖堂設計者)
*[[団藤重光]](刑法学者、最高裁判所裁判官)
*[[辻邦生]](作家)
*[[デヴィ・スカルノ|デヴィ夫人]](インドネシアのスカルノ元大統領の第三夫人)
*[[出門英]](歌手、[[ヒデとロザンナ]])
*[[土居健郎]](精神科医 「甘えの構造」の著者)
*[[都倉俊一]](作曲家)
*[[永井隆 (医学博士)|永井隆]](被爆医師)
*[[浜尾実]](東宮侍従)
*[[樋口廣太郎]](アサヒビール社長)
*[[平野レミ]](料理愛好家、タレント、シャンソン歌手)
*[[福原義春]](資生堂名誉会長)
*[[深田祐介]](作家)
*[[フジ子・ヘミング]](ピアニスト)
*[[ブラザートム]](歌手)
*[[辺見マリ]](歌手)
*[[星野英一]](東京大学名誉教授、民法学)
*[[前川清]](歌手)
*[[毬谷友子]](女優)
*[[三浦朱門]](作家、元文化庁長官)
*[[水島広雄]](そごう元社長)
*[[三淵忠彦]](初代最高裁長官)
*[[宮沢俊義]](憲法学者)
*[[村上陽一郎]](東京大学名誉教授、科学史)
*[[村木嵐]](作家)
*[[村松英子]](女優)
*[[森麻季 (歌手)|森麻季]](ソプラノ歌手)
*[[森田順平]](俳優)
*[[本島等]](元長崎市長)
*[[矢代静一]](劇作家・脚本家)
*[[安岡章太郎]](作家)
*[[山谷えり子]](自民党参議院議員、元衆議員)
*[[山田五郎]](美術評論家)
*[[山本正]](日本国際交流センター理事長)
*[[山本直純]](指揮者)
*[[山本容子]](版画家)
*[[吉田茂]](元[[内閣総理大臣]]、ただし死後に洗礼を受けた)
*[[渡部昇一]](評論家)
 
== 名称 ==
[[File:ChristianityBranches-2JP2.png|thumb|500px|right|[[キリスト教諸教派の一覧|‎キリスト教諸教派]]の成立の概略を表す樹形図。更に細かい分類方法と経緯があり、この図はあくまで概略である。]]
[[東方教会]]([[正教会]]及び[[東方諸教会]])と区別するため、カトリック教会と[[プロテスタント]]教会を総称して[[西方教会]]と呼ぶ場合もある。さらに、最近はあまり見かけないが、日本語表記においてかつてプロテスタント教会を「新教」と呼び、カトリック教会を「旧教」と呼ぶ例もあった。日本で出版された歴史の本などにも「旧教」という言葉が使われていたが、カトリック教会側が「旧教」を自称したことはない。
 
別の名称としては本項冒頭にある通り、日本ではかつて「'''天主公教会'''」とも称された。'''公教'''の使用例としては「[[公教要理]]」「長崎公教神学校(現・[[長崎カトリック神学院]])」などがある。日本語の表記でまれに「カソリック」と表記されることもあるが、この表記はカトリック教会自身によっては用いられず、[[カトリック中央協議会]]も公式表記とはみなしていない。
 
なお、[[1054年]]の[[大シスマ]]による[[東西教会の分裂]]以前の教会で、[[ニカイア信条]]・[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]および[[カルケドン信条]]を信仰する教会([[アリウス派]]や[[単性論]]の対義語という意味。[[正統教義]]ともいう)を指して「カトリック」と呼ぶこともあるので、注意が必要である。この場合は現在のカトリック教会と正教会を含む。ただしこれはカトリック教会側の見方であって、正教会は東西教会分裂以前の教会を指して正教会と呼ぶ。ローマ・カトリック教会も東方正教会も、東西教会の分裂以前の教会の直接の正統な後継者を自認していること、そして「カトリック」(普遍性)も「オーソドックス」(正しい讃美)もいずれもが東西教会分裂以前の教会においても重要な概念であったためにいずれの見解も誤りではなく、自らの重視する概念に由来する教会名の方を過去の教会名にも当てはめるために、このような事象が必然的に生じている。
 
現在のカトリック教会・正教会のいずれもが自らの「カトリック」(普遍性)・「オーソドックス」(正しい讃美)を自覚しておりこの二つは排他的概念では無い事には注意が必要である。
 
== カトリック教会への批判・論争 ==
[[宗教改革]]以来、[[プロテスタント]]から、教皇の首位権・使徒継承性に対して「『聖書』の曲解、根拠なき伝承([[聖伝]])に基づくもの」と批判されている。同様にプロテスタントが『聖書』に根拠を持たないと主張する「[[秘蹟]]」や「[[マリア]]崇敬([[聖人]]崇敬)」について批判を受ける。歴史的には、カトリック教会が「封建領主」として君臨したことや[[聖遺物]]崇拝、[[贖宥状]](免罪符)発行が批判されたが、[[対抗改革]]によって中止された。一方、改革の中で[[原理主義的]]姿勢が強まって「[[禁書目録]]」の作成がなされたが、このような動きは[[学問の自由]]や[[言論の自由]]を求める[[学者]]と衝突を招いた。
 
また、カトリック教会は当時信じられていた『[[天動説]]』を[[教義]]としており、[[ニコラウス・コペルニクス]]や[[ガリレオ・ガリレイ]]の提唱した『[[地動説]]』にカトリック教会は反発、[[ローマ教皇庁]]は[[1616年]]に、コペルニクス説を禁ずる布告を出した。地動説を唱えたガリレイは、1616年と[[1633年]]の2度、ローマの異端審問所に呼び出され、地動説を唱えないことを宣誓させられたのは有名な逸話である。
 
[[啓蒙主義]]者にとっては、カトリック教会による社会生活の支配は克服すべき課題であった。[[フランス革命]]では[[ロベスピエール]]が宗教を廃止し、「[[理性]]」(あるいは、「最高存在」)に対する崇拝をそれまでの宗教に代わるものと位置付けた。このような過程を経て、カトリック教会は寛容政策に転換し、信徒や聖職者が他宗教の祭祀・儀式に列席することも認められるようになった。しかし、21世紀においても(プロテスタントの保守的な教会同様に)[[胎児]]も含めたかけがいのない[[生命]]を尊重するという崇高な理念に基づき[[人工受精]]や[[中絶]]、[[避妊]]、[[同性愛]]、[[ES細胞]]研究への反対姿勢は変えておらず、この点を批判されることがある(ただしこれらについては他教派や[[プロライフ]]の関係者にも賛成する者がおり、賛成者とカトリック教会が連携する事もある・一例として[[マンハッタン宣言]]を参照)。「妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだ」という教会関係者の発言が物議を醸しており、一種の"[[教条主義]]"とも揶揄されている{{誰|date=2010年7月}}。
 
なお、プロテスタントや[[聖公会]]の中には“教会内における女性の首位権”(女性聖職者または女性牧師)を認める教会もあるが、カトリック教会では女性は司祭に叙階されない。教義上、聖職者になれるのは男性信者に限られている。[[フェミニスト]]はこれに対する批判を行う者もいるが、カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「女性差別」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。また、かつては女性助祭や旧約時代の女性預言者も存在したこともあり、この制度が復活することがないとは言えない。
 
また、近年一部の[[聖職者]]が[[児童]]に対して[[性的虐待]]をしていた事実が判明し、カトリック教会の一大[[不祥事|スキャンダル]]に発展している。
{{Main|カトリック教会の性的虐待事件}}
 
== 脚注 ==
[[酒井信彦]]元[[東京大学]]教授は日本のカトリック教会は、[[日本軍]]、[[アメリカ軍]]、[[韓国軍]]などが利用した[[慰安婦]]について、日本だけを対象とした国際的な非難決議が出されるように活動しており、国際連合人権委員会へのロビー活動によって国連からの非難勧告が日本だけに出されたことや機関誌のカトリック新聞などで日本だけを非難しているとして「日本に対する極度の差別以外の何者でもない」と非難している<ref name=sakai20100424>{{cite web
{{脚注ヘルプ}}
| author = 酒井信彦
{{Reflist}}
| date = 1996-08-15
| url = http://sakainobuhiko.com/1996/08/post-12.html
| title = 日本カトリック教団の『戦争の反省』の欺瞞②
| work = 月曜評論
| publisher = 酒井信彦の日本ナショナリズム
| accessdate = 2010-04-26
}}</ref>。
 
== 関連文献 ==
263 ⟶ 152行目:
*日本カトリック司教協議会監修、『カトリック教会のカテキズム』、[[2002年]]、ISBN 4877501010
*カトリック中央協議会『カトリック教会・情報ハンドブック 2010』- [[2009年]][[11月10日]]発行 ISBN 978-4-87750-541-7
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
*[[カトリック神学と信心シズム]]
**[[教会法]]
**[[キリスト論両性説]]
**[[両性説教会論]]
**[[教会三位一体論]]
**[[秘跡終末論]]
**[[三位一体論原罪]]
**[[終末論教皇不可謬説]]
**[[救済論教皇首位説]]
**[[原罪修道院]]
**[[秘跡聖母マリア]]
*[[マリア論]]
**[[無原罪の御宿り]]
**[[聖母の被昇天]]
*ローマ教皇
**[[教皇不可謬性]]
**[[教皇首位説]]
*聖母信心
**[[ロザリオ]]
**天使祝詞([[アヴェ・マリア]]
**聖母[[不思議のメダイ]]
*[[聖人]]・[[福者]]
**[[ルルド|ルルドの聖母]](記念日:2月11日)
**[[守護聖人]]
**[[ファティマの聖母]](記念日:5月13日)
**[[日本のカトリック教会二十六聖人]]
**[[日本キリスト教史]]
**[[日本のキリシタン一覧]]
**[[キリシタン大名]]
**[[隠れキリシタン]](キリシタン)
*[[日本におけるカトリック教会と政治]]
**[[政教分離ミサ曲]]
**[[信教の自由]]
**[[カトリック正義と平和協議会]]
*カトリック教会と芸術
**[[ミサ曲]]
**[[グレゴリオ聖歌]]
**[[ゴシック建築]]
*[[聖人]]オプス[[福者デイ]]
**[[聖者解放一覧神学]]
*[[カトリック正義と平和協議会]]
**[[日本二十六聖人]]
**[[守護聖人]]
**[[列聖]]・[[列福]]
*その他
**[[解放の神学]]
**[[オプス・デイ]]
**[[修道院長]]
**[[復古カトリック教会]]
*[[公同の教会]]
*[[ラテラノ条約]]
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Roman Catholic Church}}
 
* [http://wwww2.vatican.va/content/vatican/en.html バチカン公式サイト] {{fr icon}}{{en icon}}{{it icon}}{{pt icon}}{{es icon}}{{de icon}}{{ar icon}}{{zh icon}}{{la icon}}
* [http://www.radiovaticana.org/gia/index.asp バチカン放送局]{{ja icon}}
* [http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/ カトリック中央協議会]{{ja icon}}
* [http://www.cwjpn.com/ カトリック新聞・カトリック中央協議会インデックス]{{ja icon}}
* [http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/pope.htm カトリック中央協議会 - 「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?]{{ja icon}}
 
{{Link FA|id}}
{{Link FA|la}}
 
{{DEFAULTSORT:かとりつく}}
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[[Category:バチカン|*かとりつく]]
[[Category:教皇権の歴史]]
 
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