「ムスチスラフ3世」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[1176年]]、[[ロストヴェツ (ルーシ)|ロストヴェツ]]において、叔父[[リューリク[[:ru:Рюрик Ростиславич・ロスチスラヴィチ (князь киевскийキエフ大公)|(ru)リューリク]]、兄[[ヤロポルク・ロマノヴィチ|ヤロポルク]]と共に[[ポロヴェツ族]]との戦いに参加し、敗戦している([[ロストヴェツの戦い]])。これがムスチスラフが政治の舞台に登場した最初の記録である。
 
[[1178年]]、父によって、[[ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ (スモレンスク公)|ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ]]と争っていた[[ヴィテプスク公]][[フセスラフ・ヴァシリコヴィチ]]の援軍として派遣され、[[ノヴゴロド公国|ノヴゴロド]]におけるムスチスラフ・ロスチスラヴィチの主導権を遮断して紛争を収めた。