「趙富金」の版間の差分
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貴妃(後の[[明達皇后]])の三女として生まれた。[[大観 (宋)|大観]]2年([[1108年]])7月5日、衍福公主の位を授けられた。のち、衍福帝姫の位を改授された。[[宣和]]6年(1125年)11月、'''洵徳帝姫'''の位を改授された。同月、田丕に降嫁した。
[[靖康の変]]の際、
連行の途中、設野馬は大がかりな酒宴を設け、富金を側室としたことを公表した。金に到着後、設野馬が[[呉乞買|太宗]]に改めて願い出て、富金は次婦(妾妻)の位を授けられた。『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで富金は金で健在であった。
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* 『靖康稗史箋證』
* 『皇十四女特封衍福公主制』
== 脚注 ==
<references />
{{デフォルトソート:ちよう ふきん}}
[[Category:宋の徽宗の皇女|ふきん]]
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