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'''掃天星表'''<ref name="daijiten"/>(そうてんせいひょう ''Durchmusterung''<ref name="daijiten"/>, ''survery catalogue''<ref name="daijiten"/>)は全天の[[恒星]]を調べた[[星表]]。『'''ボン掃天星表'''』、『'''南天掃天星表'''』、『'''コルドバ掃天星表'''』、『'''ケープ写真掃天星表'''』の
今日、掃天星表は恒星のみではなく、他の天体も探している。特徴は、電磁スペクトルでの調査で、これは可視光と比較されている。ドイツ名であるDurchmusterungが英名にもなっており、これは「物体、情報の組織的調査」と言う意味である。
掃天星表は44年間に渡って調査されており、視等級が9-10等星までのおおよそ325,000個の恒星の位置、視等級についてまとめられている。これは[[ドイツ天文協会星表|AGK]]、[[
==起源==
『'''ボン掃天星表'''』<ref name="daijiten"/> (''Bonner Durchmusterung''<ref name="daijiten"/>, BD<ref name="daijiten"/>) は[[ドイツ]]の[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー|F・W・アルゲランダー]]、アダルベルト・クリューガー、[[エドワード・シェーンフェルト]]によって発表された。320,000個の恒星の1855.0年分点での位置を網羅しているものであった。これは現代の星図の草分けとして認識されている。
『'''南天掃天星表'''』<ref name="daijiten"/> (''Sudliche Durchmusterung'', SD<ref name="daijiten"/>)が、1886年に追加された。ボン掃天星表自体は[[ボン天文台]]での観測に基づいており、北天と若干の南天域のみをカバーするものだったため、
==拡張==
初期の分野の天体物理学や天体力学、太陽系の研究など、多くの天文学の探求は根本的に地図表やボン掃天星表のデータによるところが大きかったが、その後、位置の正確さが厳密な研究計画には不適当になってきた。また、ボン掃天星表はドイツから見ることのできない南天についての記述はなく、全天をくまなく表記しきれなかった。
このため、科学共同体は2つの追加観測で南天の情報の補足を決定した。これらは南半球の[[アルゼンチン]]の[[コルドバ]]、[[南アフリカ]]の[[ケープタウン]]の天文台で行われた。ジョン・M・トーミの主導で[[1892年]]に『'''コルドバ掃天星表'''』<ref name="daijiten"/>(''
これらの2つの掃天星表によって、さらに厳密な出展体型が設立され、19世紀広範には天文学者や測地学者は[[地軸]]、[[春分点]]、
その後、[[1920年代]]にFK3に現代化され正確性が±1まで押さえられ、現行、
== 現代対応 ==
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*[[ティコ第二星表]] (>2,500,000 二重星やその他の誤差についても改訂している。)
今後、
== 星表番号 ==
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天文学者はスペクトルの記載のある[[ヘンリー・ドレイパーカタログ|HD星表]]を好んで使用するが、古いが記載されている星が膨大な掃天星表はHR星表にない星を記載しており、このような場合掃天星表が使用される。しかし、多くの星表では掃天星表との相互参照に、複数の掃天星表に重複して記載のある恒星について、どの掃天星表との参照なのかが指定されていないこともしばしばである。
== 出典 ==
<references>
<ref name="daijiten">{{Cite book|和書
|author =
|year =
|title = 天文学大事典
|edition = 初版第1版
|publisher = 地人書館
|page = 206-7、254、391、639頁
|isbn = 978-4-8052-0787-1
}}
</ref>
</references>
{{デフォルトソート:そうてんせいひよう}}
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