「新井白石」の版間の差分

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=== 順庵との出会い ===
独学を続けていた白石は、[[貞享]]3年(1686年)になって朱子学者・[[木下順庵]]に入門することになった。通常入門には束脩(そくしゅう、入学金)がかかるものだが、白石にはそれが免ぜられ、順庵も弟子というより客分として遇するほど白石に目にかけていた節がある。順庵の門下生には、白石の他、[[雨森芳洲]]、[[室鳩巣]]、[[祇園南海]]等、後に高名な学者になる者が多く集まっていたため、順庵に入門できたことは白石にとって大変意義があった。
 
師匠の順庵は白石の才能を見込んで、[[加賀藩]]への仕官を見つけてきてくれた。白石も後年、「加州は天下の書府」と賞賛しているように、加賀藩は[[前田綱紀]]のもとで学問が盛んであった。ところが同門の岡島忠四郎から「加賀には年老いた母がいる。どうか、貴殿の代わりに私を推薦してくれるよう先生(順庵)に取り次いでいただけないでしょうか」と頼まれ、岡島にこのポストを譲った。