「原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所」の版間の差分

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'''原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所'''(げんしばくだんひばくしゃべっぷおんせんりょうようけんきゅうじょ)は、かつて[[大分県]][[別府市]]小倉町にあった、[[温泉]]を利用した[[原子爆弾]][[被爆者]]の療養を目的とした研究・保養施設である。通称、'''別府原爆センター'''。
 
== 沿革 ==
[[1960年]](昭和35年)2月に、[[お年玉付郵便はがき|年賀はがき]]の益金をもとに、地元住民の土地提供も受けて、世界初の原子爆弾被爆者のための温泉療養施設として開設された。開設当初の名称は'''原子爆弾被爆者別府温泉利用研究所'''。現在の設置・経営母体は、財団法人大分県原子爆弾被爆者対策協議会である。
 
本館とリハビリ棟とを有し、宿泊しながらの療養が可能であった。かつては施設内に診療所が設置されていたが、利用者の減少にともなって閉鎖され、現在は近隣の医師の往診により対応してい
2007年現在で、開設以来延べ約80万人を受け入れているが、被爆者の高齢化などにより、年間利用者はピーク時の約半分にあたる1万2千人程度まで落ち込んでいる。
 
2011年5月25日、利用者の減少と施設の老朽化により5月末で閉鎖すると発表された<ref>{{cite news |title=別府原爆センター閉鎖へ 被爆者向けの温泉療養施設 |newspaper=西日本新聞 |date=2011-05-26 |url=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/244030 |accessdate=2011-05-26}}</ref>。
本館とリハビリ棟とを有し、宿泊しながらの療養が可能である。かつては施設内に診療所が設置されていたが、利用者の減少にともなって閉鎖され、現在は近隣の医師の往診により対応している。
 
2011年5月25日、開設以来の利用者は延べ約87万人。ピーク時減少と1987年度には年間約2万3千人が利用していたが、広島に大規模な温泉保養施設が開設されたことや、被爆者老朽高齢などにより5月末、2008年度以降は年間利用者が1万人を下回り、2010年度には約6,700人ま閉鎖すると発表され落ち込んでい <ref>{{cite news |title=別府原爆センターが5月で閉鎖へ  国内初の被爆者向けの温泉療養施設 |newspaper=西日本福井新聞 |date=2011-05-2625 |url=http://www.nishinipponfukuishimbun.co.jp/nnpnationalnews/itemCO/244030politics/453069.html |accessdate=20112016-0501-2613}}</ref>。
 
跡地には、[[2014年]]に[[パソナ]]グループの[[ベネフィット・ワン]]が温泉を利用した女性専用の福利厚生施設を開設している<ref>{{PDFlink|[https://www.pasonagroup.co.jp/ir/data/presentation/pdf/2013/201305presen.pdf 2013年5月期決算説明会]}} 株式会社パソナグループ、2013年7月16日</ref><ref>[http://www.benefit-foryou.com/ Benefit for You - ベネフィット・フォー・ユー-]</ref>。
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
<references/>
 
== 関連項目 ==