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仮面ライダー Official File Magazine より加筆。
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== エピソード ==
{{要出典範囲|サブ平山亨と組んでプロデューサーを務めたは脚本家へエピソ発注は阿部の役割であった<ref name="OFMKR5">{{Harvnb|OFM仮面ライダドとして、5|2004|pp=27-29|loc=[[赤星政尚]]特集 果てしなき闘いのドラマ 『仮面ライダー』脚本家列伝」}}</ref>。初めて組んだ『仮面ライダー』では、第1話・第2話脚本が完成した後、平山は何も指示をしなかったため、『[[柔道一直線]]』などで平山と組んでいた斉藤頼照に訪ね自身が動かねばならないことを知ったという<ref name="OFMKR5" />。『仮面ライダー』などで脚本を務めた[[伊上勝]]に脚本の提出が遅いので催促しに行ったがあの手この手でいつも上手く逃げられ、喫茶店で執筆する伊上をずっと見守っていたこともあったという<ref name="OFMKR5" />。阿部は伊上の自宅へ電話をかけても捕まらなかったことから、伊上の妻に「バカと伝えてくれと伝言し伊上の妻には初対面時で恐い人物だと思われてい<ref name="OFMKR5" />。{{要出典範囲|逆に「[[曽田博久]]の脚本は常に締切りまでには提出されてきた」と語っている。|date=2015年7月}}
 
『仮面ライダー』放映当時に社会現象となった大ヒット商品、『[[仮面ライダースナック]]』([[カルビー]])の「おまけ」の「仮面ライダーカード」では、{{要出典範囲|第三弾のシリーズからは|date=2015年7月}}阿部が匿名で説明文を執筆していた{{Sfn|仮面ライダー1971-1984|2014|p=148|loc=「仮面ライダースナック」}}。{{要出典範囲|商品化営業部から「誰に任せるよりも阿部ちゃんが一番仮面ライダーに詳しいんだから、あなたが書いてよ」と請われてのことだったという。|date=2015年7月}}
 
第1期仮面ライダーシリーズ終了の4年後に制作された『[[仮面ライダー (スカイライダー)]]』では、企画を進める[[平山亨]]に対して人気作品をもう一度やることのデメリットを説いて忠告し、制作には慎重な姿勢を見せ参加を拒んだ{{Sfn|仮面ライダー1971-1984|2014|pp=377、390}}。放送開始後、視聴率の不信から東映側に同作品への参加を打診されると何をやってもよいという条件でこれを受諾し、スカイライダーの配色や主題歌を変更するなど自身が好む明るく楽しいシンプルなヒーロー像への一新を進めた<ref name="OFMKR5" />{{Sfn|仮面ライダー1971-1984|2014|p=390|loc=「パワーアップシリーズ」}}。
 
娘が幼稚園に入園する時の面接で「『仮面ライダー』を作っている」と述べたところ[[幼稚園教員|先生]]らから感心されたという<ref name="OFMKR2" />。
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** {{Cite book|和書|title=Vol.2 仮面ライダー2号|date=2004-10-08|isbn=4-06-367092-9|ref={{SfnRef|OFM仮面ライダー2|2004}}}}
** {{Cite book|和書|title=Vol.4 ライダーマン|date=2004-09-24|isbn=4-06-367091-0|ref={{SfnRef|OFM仮面ライダー4|2004}}}}
** {{Cite book|和書|title=Vol.5 仮面ライダーX|date=2004-11-10|isbn=4-06-367094-5|ref={{SfnRef|OFM仮面ライダー5|2004}}}}
*{{Cite book|和書|others=講談社 編|date = 2014-11-20|title = 仮面ライダー1971-1984 <small>秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人</small>|publisher =講談社|isbn = 978-4-06-218566-0|ref = {{SfnRef|仮面ライダー1971-1984|2014}}}}