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'''多重質問の誤謬'''([[ラテン語たじゅうしつもん、{{lang-en-short|羅]]:complex question}}, trick question, multiple question, {{lang-la-short|plurium interrogationum)interrogationum}})、明らかでない[[前提]]に基づく質問。'''多重尋問'''(たじゅうじんもん)とも。それに起因する[[誤謬]]を'''多重質問一種である誤謬'''(たじゅうしつもんのごびゅう、{{lang-en-short|loaded question}}, complex question fallacy)という<ref name=Walton>{{cite web |url= http://io.uwinnipeg.ca/~walton/papers%20in%20pdf/99interrog.pdf |title=The Fallacy of Many Questions |first=Douglas |last= Walton |publisher=University of Winnipeg |accessdate= 2008-01-22}}</ref> 。議論に関わる人々が受け入れていない、あるいは証明されていない[[前提]]に基づいて、質問をするこである。質問者は修辞的にこのような質問を行い、特に返答を期待していないことが多い<ref name=Walton/>。例えば「お前あなたはまだ奥さんを虐待しているのか?」といった質問がある。相手が「はい」と答えようが「いいえ」と答えようが、「あなた」には妻がいて過去に虐待したことがあるということを認めたことになる。つまりこれらの事実が質問の「前提」とされたため、相手は多重質問の誤謬の罠にかけられ、1つの答えしかできない状況に追い込まれる<ref name=Walton/>。質問者は修辞的にこのような質問を行い、特に返答を期待していないことが多い<ref name=Walton/>。
 
もう少しわかりにくい例としては、「なぜ人を殺してはいけないのか?」や「[[なぜ何もないのではなく、何かがあるのか|なぜ宇宙があるのか?]]」といった質問が挙げられる。前者は「(すべての)人を殺してはいけない」という前提を含んでいるが、[[死刑存廃問題]]を考えると、たとえば死刑囚を殺してはいけないかどうかは意見が分かれる問題である。後者は「宇宙が存在する」という前提を含んでいる。この前提はほとんどすべての場合明らかに正しいと考えられるが、哲学的な[[存在論的虚無主義]]の立場では否定される。
このような質問が誤謬かどうかは文脈に依存している。質問が何かを前提にしていても、質問自体は誤謬ではない。その前提が相手が同意していないものである場合のみ、この質問が誤謬となる<ref name=Walton/>。
 
このような質問が誤謬かどうかは文脈に依存している。質問が単に前提にしてを含んでても、質問自体るというだけで誤謬限らない。その前提が相手議論に関わる人々同意し受け入れていない、あるいは証明されていないものである場合のみ、この質問が誤謬となる<ref name=Walton/>。
 
関連する誤謬として[[論点先取]]がある<ref name=begging>[http://www.nizkor.org/features/fallacies/begging-the-question.html Fallacy: Begging the Question] ''The Nizkor Project''. [[2008年]][[1月22日]]閲覧 </ref>。これは、結論が前提として使われている論証形式である<ref name=SD>{{cite web |url= http://skepdic.com/begging.html |title=Begging the Question |work=The Skeptic's Dictionary |first=Robert Todd |last=Carroll|accessdate=2008-10-21}}</ref>。
 
== 暗示形式 ==
誤解を招く会話形式として、質問に明示的に言及されないことを暗示するというものがある。たとえば「ジョーンズさんには軍人の兄弟がいるんですか?」という質問は、そのような事実を主張しているわけではないが、少なくともそう思われる徴候があることを示唆しており、さもなくばこのような質問がされることもないだろう<ref>[http://legal-dictionary.thefreedictionary.com/compound+question compound question, definition]</ref>。このような質問をしている人は嘘の主張をしているわけではないが、暗黙の複合的質問(単純に「はい」や「いいえ」で答えると誤解を生むような質問)を含意している。この質問自体は誤謬ではないが、この質問を聞いた人々が質問の前提を裏付ける証拠があるのだろうと仮定することに誤謬が存在する。ここで挙げた例はどうということはないが、たとえば「ジョーンズさんには監獄に兄弟がいるんですか?」ではどうだろうか?
 
修辞的な効果を狙うなら、事実の証拠なしでは普通は聞かないだろうというようなことを暗示しなければならない。たとえば「ジョーンズさんには兄弟いますか?」という質問では、特に事前の知識がなくとも普通にされる質問であるため、それを聞いた人は何らかの証拠があるに違いないとは思わない。
 
== 様々な形式 ==
以下の質問形式は何らかの前提を含んでいる。
; 多重質問 (loaded question)
: 被質問者が異議を申し立てずに答えた場合、ある告発を認めたことになるような前提を含んだ質問である。たとえば「お前はまだ奥さんを虐待しているのか?」という質問がある。多重質問は質問者が真であると信じていることを被質問者に認めさせる罠である。実際にその前提が真かどうかとは無関係である。
; おべっか (buttering-up)
: 2つの質問を同時にするもので、1つは被質問者が「はい」と答えたくなるもので、もう1つは質問者が「はい」と答えてほしいものである。たとえば「あなたはいい人で私に5ドル貸してくれますか?」という質問がある。
; (誤謬ではない)複雑な質問
: それを聞いた人が簡単に合意できるような前提を含んだ質問。たとえば「イギリスの女王は誰か?」という質問は、イギリスという地名があるという前提と、そこには女王がいるという前提を含んでいる(どちらも真である)。
; 誤謬的な複雑な質問
: 一方「フランス国王は誰か?」という質問は、そもそも、現在フランスには国王がいないため前提が偽であり、誤謬である。しかし、この質問に答えることで回答者が告発されたり非難されるわけではないため、多重質問ではない<ref name=POL>{{cite book |title =The Power of Logic | first =C. Stephen | last =Layman | date= 2003年 | page=158 }}</ref>。
; 暗黙のジレンマ(誤謬ではない)
: 否定しても肯定してもジレンマに陥る結果になる「ひっかけ質問」の一形式。たとえば、上司が部下に対して「お前はここでやっていけると思っているのか?」と聞いた場合、肯定応答したとしてもクビになるかどうかとは無関係である。この形式の質問は相手に会話を促す目的で使われる。
 
== 対応策 ==
このような質問に対する一般的な対応策は、「はい」や「いいえ」と単純に応答するのではなく、文脈を踏まえたちゃんとした文で答えることである。上述の例で言えば、「お前あなたはまだ奥さんを虐待しているのか?」という質問へのよい返事としては「私は妻を虐待したことなどない」あるいは「私は未婚だ」である<ref name=POL/>。このように答えることで曖昧さを排除し、相手の戦術を無効化する。しかし、質問者はさらに「はぐらかし」の質問をすることで被質問者のこの戦術を無効化することがある。「では、私が結婚したことがないのに、どうやって妻を虐待したのかを説明してください」といった修辞的質問はそのような相手の戦術にも効果的である。
 
== 歴史的な例 ==
[[マデレーン・オルブライト]]は、1996年[[5月12日]]の『[[60 Minutes]]』という番組で、多重質問に異議を申したてずに答えた。レスリー・ストールはイラク制裁の効果について「50万人の子供が死んだと聞いています。これは広島で死んだ子供より多い数です。これはそのような代償に値することでしょうか?」と質問した。オルブライトは「これは非常に難しい選択ですが、我々はそれだけの価値があると思っている」と答えた<ref>{{cite web |url= http://orangecoyote.blogspot.com/2006/07/albrights-blunder.html |title="Albright's Blunder |accessdate=2008-01-04 |date=2002年 |publisher=Irvine Review |archiveurl= http://web.archive.org/web/20030603215848/http:/www.irvinereview.org/guest1.htm |archivedate=2003-06-03}}</ref>。彼女はこれについて後に以下のように書いている。
<blockquote>
私は気が変になっていた。私は質問を再構成し、前提に含まれる問題点を指摘すべきだった。… 私は答えた後すぐに時間をき戻して訂正したいと思った。私の答えはおそろしい誤りであり、性急すぎ、不器用で、間違っていた。… 私は罠にかかり、思ってもいないことを言ってしまった。これは私自身の過ちである<ref name=MA>{{cite book |title ="Madam Secretary: A Memoir " | first =Madeleine | last =Albright | date= 2003年 | page=275 |isbn=0-7868-6843-0 }}</ref>。
</blockquote>