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[[ファイル:Winchester College Chapel.jpg|right|thumb|ウィンチェスター・カレッジ付属礼拝堂]]
 
== 文学の接続 ==
小説家[[ジェーン・オースティン]]は、1817年7月18日にウィンチェスターで亡くなり、大聖堂に埋葬された。[[ロマン派]]の詩人[[ジョン・キーツ]]は、1819年8月中旬から10月までウィンチェスターに滞在した。キーツの詩作『イザベラ』『セント・アンガスズ・イヴ』『ラミア』はウィンチェスターで書かれた。『ハイペリオンの没落』の一部と、悲劇詩『オットー大帝』の5節もここで書かれた。
ウィンチェスターにはイギリスの有名女流作家[[ジェーン・オースティン]]が晩年を過ごしてた家がある。『[[分別と多感]]』『[[高慢と偏見]]』『[[エマ (小説)|エマ]]』などが書かれた オースティンは、1817年7月18日にウィンチェスターで亡くなり、大聖堂に埋葬された。
 
小説家[[ジェーン・オースティン]]は、1817年7月18日にウィンチェスターで亡くなり、大聖堂に埋葬された。[[ロマン派]]の詩人[[ジョン・キーツ]]は、1819年8月中旬から10月までウィンチェスターに滞在した。キーツの詩作『イザベラ』『セント・アンガスズ・イヴ』『ラミア』はウィンチェスターで書かれた。『ハイペリオンの没落』の一部と、悲劇詩『オットー大帝』の5節もここで書かれた。
 
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