「デニス・ウィルソン」の版間の差分

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バンド内でのデニスと[[カール・ウィルソン|カール]]の音楽的進歩はバンドに大きな影響を与え、1980年代にビーチ・ボーイズは「アメリカン・バンド」として再び受け入れられることとなる。しかし、その後のバンドにおけるデニスの音楽的な貢献は、ドラッグやアルコールなどの悪影響もあり、限定的なものに留まった。1979年春にはマイク・ラヴをステージ上で公然と侮辱し、1年間除名処分となった。そのため1980年発表のビーチ・ボーイズのアルバム『[[キーピン・ザ・サマー・アライヴ]]』にはほとんど参加していない。
 
1983年12月28日、泥酔状態のデニスは[[ロサンゼルス]]のマリーナ・デル・レイで自ら友人の所有するヨット「エメラルド号」(当時窮乏していたデニスは自らのヨット「ハーモニー号」を売ってしまっていた)の甲板から深夜の海に飛び込み溺死、39歳。彼は1984年1月4日にカリフォルニアの沖合に葬られた。
 
彼はその死で年の離れた妻、ショーン・ラヴ([[マイク・ラヴ]]の[[非嫡出子]])と幼い息子ゲージ・デニス・ウィルソン(1982年生)を遺した。デニスは四度結婚している。キャロル・フリードマンとの間に娘のジェニファー(他にキャロルの連れ子スコットがいる)、バーバラ・シャーレンとの間に二人の息子、マイケルとカールをもうけた。またロバート・ラムの妻であったカレン・ラムとも結婚歴があった。[[1970年代]]後半には[[フリートウッド・マック]]の[[クリスティン・マクヴィー]]と同棲していたこともある。