「伊勢佐木町」の版間の差分

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[[画像:伊勢佐木町2012年8月24日(金).jpg|thumb|280px|イセザキモール ]]
[[画像:伊勢佐木町2014年1月2日(木).jpg|thumb|280px|イセザキモール]]
地名としては伊勢佐木町字1丁目〜7~7丁目からなり、伊勢佐木町通りに沿って北東 - 南西方向に約1.5km続く。北東端から地上は、[[吉田橋]]を抜けると[[馬車道]]につながり、地下は、[[マリナード地下街]]があり、[[馬車道]]や[[関内駅]]につながっている。南西端は[[南区 (横浜市)|南区]]に接する。現在1丁目と2丁目は「イセザキモール」(全面[[歩行者天国]])、3丁目〜7~7丁目は「伊勢佐木町商店街」と呼ばれる。
 
== 沿革 ==
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元々は入江を埋めた[[吉田新田]]の北一つ目沼地。沼地は[[寛文]]11年([[1671年]])までには埋め立てられ、[[耕地]]となっていた。
[[明治]]2年([[1869年]])には当地付近に[[港崎遊郭]]が移転し、吉原町が起立、明治5年([[1872年]])にはその[[遊郭]]も[[高島 (横浜市)|高島町]]に再移転し、区画を整理して明治7年([[1874年]])5月20日伊勢佐木町が起立した。
[[大区小区制]]では第1大区4小区に属し、明治11年([[1878年]])横浜区に編入され、明治22年([[1889年]])横浜[[市制]]施行で同市の1町となる。
[[昭和]]3年([[1928年]])松ヶ枝町、賑町、長島町の全域と[[長者町]]、久方町、末吉町の各一部を編入して南吉田橋際まで町域が拡大した。
 
=== 繁華街の変遷 ===
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明治6年([[1873年]])に[[興行|興行場]]が開かれ、[[大相撲]]も催される興行街となる。
明治15年([[1882年]])に遊郭が高島町から[[真金町]]へ再々移転すると、[[関内]]から遊郭への通り道となり、伊勢佐木町通りを中心に[[繁華街]]へ発展。
明治44年([[1911年]])には[[ドイツ人]]貿易商・ヴェルダーマンが日本最初の洋画封切館である[[横浜オデヲン座|オデヲン座]]を開館、大正初期までには東京・[[浅草]]や大阪・[[千日前]]と並ぶ大繁華街となり、「ザキブラ」「イセブラ」なる言葉も生まれた。
[[関東大震災]]で大被害を受けたが[[復興]]は早く、昭和に入ってなおも大いに栄えるが、[[太平洋戦争]]で被災、更に[[戦後]][[占領軍]]によって接収される。
昭和26年([[1951年]])返還が順次開始され、復興が本格化したのは[[昭和30年代]]に入ってからである。
 
昭和53年([[1978年]])からは恒久的なかたちでの[[歩行者天国]]が実施されている。また近年では、ミュージシャンの[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]がアマチュア時代に[[ストリートライブ]]をよく行っていた場所として知られている。
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昭和35年([[1960年]])頃から、砂利置き場であった[[横浜駅]]西口の本格的な大規模開発がはじまり、昭和45年([[1970年]])頃には、横浜駅エリアが横浜最大の繁華街としての地位を確立した。それにともない、伊勢佐木町の繁華街としての機能は徐々に低下し、現在では横浜駅エリアに大きく水をあけられている。
 
{{要出典範囲|date=2015年3月|さらに、同じ横浜市中区の由緒ある[[繁華街]]である[[元町 (横浜市)|元町商店街]]、[[中華街]]に加え、1990年代に開発された[[横浜みなとみらい21|みなとみらい21]]エリアなどと比較しても集客力は大幅に低くなってしまっている。
 
集客力が著しく低下した原因として、由緒ある老舗店の多くが閉店してしまい、代わりに[[パチンコ店]]・[[エクセル伊勢佐木|場外馬券場]]・[[ファストフード]]・[[ディスカウントストア]]などが数多く出店し、客層が偏ると共に伊勢佐木町の個性が失われた事が指摘されている}}。
 
== 著名な店舗・寄席・劇場・映画館 ==
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=== 過去に存在した店舗 ===
* [[野澤屋|横浜松坂屋]]
: [[1921年]]野澤屋呉服店として創業。[[1934年]]には[[野澤屋]]、[[1973年]]に松坂屋の傘下に入ってノザワ松坂屋となり、[[1977年]]に横浜松坂屋となる。[[2004年]]本館・西館ともに横浜市歴史的建造物に認定された。[[2008年]]閉店。本館は[[2010年]]解体。跡地は、[[複合商業施設]][[カトレヤプラザ伊勢佐木]]に生まれ変わった。
* [[松屋 (百貨店)|松屋]]
: 吉田橋南詰の鶴屋と1丁目の壽百貨店。1丁目の建物は元々越前屋百貨店だったのを鶴屋が買収したもの。区画整理のため吉田橋店を廃止し、1丁目の店舗を松屋横浜店として統合したが、昭和53年撤退。横浜松坂屋が買収して西館として運営していたが、現在は[[日本中央競馬会|JRA]][[場外勝馬投票券発売所|場外馬券売場]]の[[エクセル伊勢佐木]](有料制)になっている。
* 松喜屋
: [[1919年]](大正8年)呉服店として創業。[[戦後]]、百貨店に業態転換。屋上にあった灯台を模した構築物から、通称・赤灯台と呼ばれた。1969年、[[ユニー]]の前身であるほていや(創業地は伊勢佐木町)に店舗の営業を譲渡し、1976年にユニーに吸収合併された。2009年に[[ピアゴイセザキ店]]に改称されたが、建て替えのため2013年8月に閉鎖され取り壊された。(ピアゴイセザキ店は[[2015年]][[7月3日]]に跡地に建った新築建物で再開業している。)
* [[森永製菓#消滅した企業|森永キャンデーストア]] [[レストラン]][[菓子]]専門店。1丁目に所在していた。
* [[ヨコチク]] 横浜最古のレコード店。
* [[横濱カレーミュージアム]] [[2001年]][[丸井]]イセザキ館跡のパチンコ店「PIA」7・8階に出店し人気を呼んでいたが、[[2007年]]3月に閉館。
* 猫と泥棒 [[紅茶]]専門喫茶店。
* メトロナイトパレス 昭和初期に名を馳せた[[カフェー (風俗営業)|カフェー]]。
* サクラサロン 昭和初期に名を馳せたカフェー。
* ピーナッツ 無名時代の[[矢沢永吉]]らのバンド・ヤマトなどが出演していた[[ディスコ]]。2丁目で営業していた。
* モカンボ [[1954年]]の「'''モカンボ・セッション'''」で有名な[[ナイトクラブ]]。2丁目で営業していた。
* 根岸家 横浜の戦後を語る上で欠かせない存在。24時間営業の[[酒場]]。1980年11月20日焼失。正式な所在地は隣接する若葉町。現在は駐車場。
 
=== 現存する映画館 ===
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=== 過去に存在した寄席・劇場・映画館 ===
* [[横浜オデヲン座]](日本最初の洋画封切[[映画館]])
* 朝日ニュース([[戦前]]の映画館。厳密に言えば伊勢佐木町ではなく[[福富町 (横浜市)|福富町]]に所在。)
* 電氣館(戦前の映画館。厳密に言えば伊勢佐木町ではなく[[羽衣町 (横浜市)|羽衣町]]に所在。)
* 常設館(戦前の映画館。[[松竹]]系。)
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== 伊勢佐木町にちなむ作品・人物など ==
* 音楽 「[[伊勢佐木町ブルース]]」[[青江三奈]]・唄、[[1968年]] :4:4丁目に歌碑が設置されている。
 
 
* 音楽 「[[伊勢佐木町ブルース]]」[[青江三奈]]・唄、[[1968年]] :4丁目に歌碑が設置されている。
* 音楽 [[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]:デビュー前に横浜松坂屋本館前で歌っていた。
* 音楽 「長者町ブルース」[[クレイジーケンバンド]]・唄、[[1998年]]
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* ドラマ 「[[あぶない刑事]]」シリーズ:[[大通り公園]]とイセザキモールが登場。
* 映画 「[[やっさ、もっさ]]」[[渋谷実]]・監督 松竹 [[1953年]]
* 映画 「[[俺は待ってるぜ]]」蔵原惟繕・監督 日活 [[1957年]] : 伊勢佐木町入口の裏辺りが映る。
* 映画 「白昼の襲撃」西村潔・監督 東宝 [[1970年]]
* 映画 「[[夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース]]」村山新治・監督 東映 1968年
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* 小説 「人間関係」[[山田智彦]]・作 徳間書店 [[1987年]]
 
== 脚注・参考資料 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
 
== ==
* 『横浜伊勢佐木町周辺の劇場と映画館の変遷』柴田 勝・著 1972年
* 『都市ヨコハマをつくる』[[田村明]]・著 中央公論社 1983年
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* 『Old but new イセザキの未来につなぐ散歩道 』伊勢佐木町1・2丁目地区商店街振興組合・編 神奈川新聞社 [[2009年]]
* 『ヨコハマ伊勢佐木町 復活への道』[[山田泰造]]・著 日本経済新聞出版社 2009年
 
== 関連項目 ==
* [[関内]]
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* [[横浜港]]
* [[日枝神社 (横浜市南区)]] - 伊勢佐木町界隈の総鎮守。通称「お三の宮」。
* [[東京吉本]] - [[戦前]]から[[戦後]]にかけて伊勢佐木町に多くの劇場・映画館を所有。
* [[ザキ座]]