「伊勢佐木町」の版間の差分

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[{{otheruses|神奈川県横浜市にある「いせ'''ざ'''きちょう」|群馬県にある「いせ'''さ'''き」|伊勢崎市}}
{{Pathnav|日本|神奈川県|横浜市|中区 (横浜市)||frame=1}}
[[画像:Yokohama Isezaki-cho01s3200.jpg|thumb|280px|イセザキモール入口(馬車道側)]]
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明治6年([[1873年]])に[[興行|興行場]]が開かれ、[[大相撲]]も催される興行街となる。
明治15年([[1882年]])に遊郭が高島町から[[真金町]]へ再々移転すると、[[関内]]から遊郭への通り道となり、伊勢佐木町通りを中心に[[繁華街]]へ発展。
明治44年([[1911年]])には[[ドイツ人]]貿易商・ヴェルダーマンが日本最初の洋画封切館である[[横浜オデヲン座|オデヲン座]]を開館、大正初期までには東京・[[浅草]]や[[大阪府|大阪]]・[[千日前]]と並ぶ大繁華街となり、「ザキブラ」「イセブラ」なる言葉も生まれた。
[[関東大震災]]で大被害を受けたが[[復興]]は早く、昭和に入ってなおも大いに栄えるが、[[太平洋戦争]]で被災、更に[[戦後]]は[[連合国軍最高司令官総司令部|占領軍]]によって接収される。
昭和26年([[1951年]])返還が順次開始され、復興が本格化したのは昭和30年代に入ってからである。
 
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昭和35年([[1960年]])頃から、砂利置き場であった[[横浜駅]]西口の本格的な大規模開発がはじまり、昭和45年([[1970年]])頃には、横浜駅エリアが横浜最大の繁華街としての地位を確立した。それにともない、伊勢佐木町の繁華街としての機能は徐々に低下し、現在では横浜駅エリアに大きく水をあけられている。
 
{{要出典範囲|date=2015年3月|さらに、同じ横浜市中区の由緒ある[[繁華街]]である[[元町 (横浜市)|元町商店街]]、[[横浜中華街]]に加え、[[1990年代]]に開発された[[横浜みなとみらい21|みなとみらい21]]エリアなどと比較しても集客力は大幅に低くなってしまっている。
 
集客力が著しく低下した原因として、由緒ある老舗店の多くが閉店してしまい、代わりに[[パチンコ店]]・[[エクセル伊勢佐木|場外馬券場]]・[[ファストフード]]・[[ディスカウントストア]]などが数多く出店し、客層が偏ると共に伊勢佐木町の個性が失われた事が指摘されている}}。
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* [[不二家]](元町で創業しここに2番店を出した)
* [[文明堂]](横濱文明堂の本店。1946年に長崎総本店より経営分離。)
* [[イセビル]](1926年竣工のテナントビル。昭和初期には[[カフェー_ (風俗営業)|カフェー]]や[[ダンスホール]]が入っていた。)
 
=== 過去に存在した店舗 ===
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* ピーナッツ:無名時代の[[矢沢永吉]]らのバンド・ヤマトなどが出演していた[[ディスコ]]。2丁目で営業していた。
* モカンボ:[[1954年]]の「'''モカンボ・セッション'''」で有名な[[ナイトクラブ]]。2丁目で営業していた。
* 根岸家:横浜の戦後を語る上で欠かせない存在。24時間営業の[[酒場]]。1980年11月20日焼失。正式な所在地は隣接する若葉町。現在は[[駐車場]]
 
=== 現存する映画館 ===
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<references/>
 
== 参考資料 ==
* 『横浜伊勢佐木町周辺の劇場と映画館の変遷』柴田 勝・著 1972年
* 『都市ヨコハマをつくる』[[田村明]]・著 中央公論社 1983年