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#[[明智秀満]]軍が敗走の際に放火したとの説(『[[秀吉事記]]』『[[太閤記]]』)。しかし、安土で出火があったとされるのは6月15日(『[[兼見卿記]]』)で、その日、秀満は[[坂本城]]で[[堀秀政]]の軍に包囲されていたこと、また、秀満は坂本城での自刃の際、光秀収集の名刀や[[茶器]]、書画を[[堀直政]]に引き渡してから坂本城に火を放っていることから濡れ衣と考えられる<ref name=atsuta>熱田公『日本の歴史11 天下一統』(1992)p.195</ref>。
#秀満のあと[[伊勢国]]から入った[[織田信雄]]軍が彼の残党を炙り出すため、城下に放火したのが天主に延焼したという説。これは、[[ルイス・フロイス]]の報告や『[[日本西教史]]』収載の当時の[[宣教師]]の記述([[日本耶蘇会年報]])によるもので、その記述には「信雄が暗愚だったので放火した」とある。
(しかし焼けている場所が限定的であり他からの延焼は考えにくい)
#略奪目的で乱入した野盗や土民が放火したとする説。
#落雷によって焼失したとする説。