「ヴラジーミル・ヴィソツキー」の版間の差分

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{{otheruses|ソ連の詩人・俳優・歌手|ロシアの軍人|ヴラジーミル・ヴィソツキー (軍人)}}
{{Infobox Musician
| Name = ヴラジミール・ヴィソツキー
| Img = Vladimir Vysotsky.jpg
| Img_capt = ヴラジミール・ヴィソツキー(1979年)
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| School_background = [[モスクワ芸術座]]演劇学校
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| Origin = {{Flagicon|SSR1923}} [[ソヴィエト連邦]]、[[モスクワ]]
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| Years_active = 1959年–1980年
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[[ファイル:Russia stamp V.Vysotsky 1999 2r.jpg|thumb|200px|[[ロシア]][[切手]] ヴラジーミル・ヴィソツキー, [[1999年]]]]
'''ヴラジミール・セミョーノヴィチ・ヴィソツキー'''([[ロシア語]]:'''{{lang|ru|Владимир Семёнович Высоцкий}}'''<small>ヴラヂーミル・シミョーナヴィチュ・ヴィソーツキイ</small>、[[1938年]][[1月25日]] - [[1980年]][[7月25日]])は、[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[詩人]]、[[俳優]]、[[シンガーソングライター]]である。
 
日本語では、'''ウラジミール・ヴィソツキー'''や'''ビソツキー'''、'''ヴィソーツキイ'''<ref>{{cite web|url=http://www.shinseido.co.jp/cgi-bin/WebObjects/Catalog.woa/wa/detail?r=SC-4101|title=SHINSEIDO SHOPPING SITE |accessdate=2007年12月14日 }} {{ja icon}}</ref>とも表記される。
 
== 人物 ==
=== 経歴 ===
1938年に[[モスクワ]]で生まれた。[[モスクワ芸術座]]演劇学校卒業。俳優としては[[リュビューモフ]]の[[タガンカ劇場]]に加わり、『[[ハムレット]]』の演技で名声を得た。
 
1960年代に、[[ブラート・オクジャワ]]らと[[吟遊詩人]]([[バルド]])運動に参加し、ソ連市民の心を”しわがれ声”でギターの弾き語りを始めた。
 
=== 時代背景 ===
余りにも激しい体制批判ゆえに、生前には1冊の詩集も1枚の[[レコード]]も出すことを禁じられていたにもかかわらず、彼はヒーローとなり、同時に良心であった。彼の歌を収録した[[カセットテープ]]は何度となくコピーされ、人の手から手へと渡され、ソ連中に広まった。モスクワから遠く離れた小さな村の家の窓からさえ、彼の歌は鳴り響いていたといわれている。真実の詩と情熱と勇気とを、ギターをかかえ、しわがれた声で歌うヴィソツキーは、一人で[[全体主義]]的管理と状況に立ち向かい、[[モスクワオリンピック]]の最中に42歳の若さで逝った。葬儀の行われたタガンカ劇場の周りには、前代未聞の10万人から20万人<ref>「新版 ロシアを知る事典」内「ヴィソツキー」項 平凡社 2004年1月21日発行</ref>の人々が集まり、数千人のオリンピック警備陣が流用された<ref>[インサイド・レポート] モスクワ五輪閉幕 少しは聞いた?「ボイコット」[[読売新聞]] 1980年8月5日朝刊3ページ</ref>。
 
[[ロシア]]の[[ジャック・ブレル]]、[[ジョン・レノン]]や[[ボブ・ディラン]]と評する人も多い。没年についても、ジョン・レノンと同じである。
 
ロシアの国営テレビや世論調査機関などが共催した「ロシアの英雄」を選ぶ人気投票で[[ニコライ2世]]、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]、[[レーニン]]に次いで4位になっている<ref>[[朝日新聞]], 2008年7月16日</ref>。
 
ロシアの歌手、{{仮リンク|アレキサンドル・グラツキー|ru|Градский, Александр Борисович|en|Alexander Gradsky}}が、ヴィソツキーが亡くなったのと同じ[[1980年]]にヴィソツキーを追悼する歌「ソング(亡き友を思うソング)」を発表し、ソ連国内で大ヒットした。「ソング」は[[1990年]]の[[第41回NHK紅白歌合戦]]でグラツキーが歌唱し、[[1991年]]発売のグラツキーの日本国内盤『ソング』にも収録されている。
 
=== 妻・マリナ・ヴラディ ===
ヴラジミール・ヴィソツキーの最後の妻は、[[ロシア系]][[フランス人]]の[[マリナ・ヴラディ]](Marina Vlady,本名 Marina De Poliakoff-Baïdaroff, [[1938年]][[5月10日]] - )である。マリナは、[[1963年]]には[[カンヌ国際映画祭]]で出演した映画『女王蜂』で最優秀主演女優賞をするなどの[[フランス映画]]の重鎮的存在である。ヴィソツキーのレコーディングは、フランスで行われたものが多い。
 
== 外国での紹介 ==
=== 映画『ホワイトナイツ/白夜』 ===
[[ミハイル・バリシニコフ]]と[[グレゴリー・ハインズ]]の共演で話題となった映画『[[ホワイトナイツ/白夜]](監督:[[テイラー・ハックフォード]]、[[1985年]]・アメリカ)』でも、ヴィソツキーの歌が使用されている。
 
ミハイル・バリシニコフ演じる[[亡命]]ロシア人バレエダンサー「ニコライ・ロドチェンコ」の乗った飛行機が事故により、ソ連領[[シベリア]]に不時着、[[ソ連国家保安委員会|KGB]]の監視の下に軟禁状態になる。かつての恋人は、彼女が恋人ニコライ亡命後のソ連で生きる為にKGBの諜報員の下にいたが、[[キーロフ劇場]]の舞台で[[ラジカセ]]でヴィソツキーの歌を聴く彼女の本心を知り、脱出の助けを求める。ラジカセが大音量になり、ヴィソツキーの歌声をバックにニコライが踊るシーンは圧巻である。しかし、[[サウンドトラック]]には収録されていない。
 
=== 日本で紹介された作品 ===
ロシアからの輸入盤は、[[ソ連崩壊]]以降、ロシアの政治・経済が安定していくにつれて東京・[[神田 (千代田区)|神田]]にあったロシア・レコード輸入販売店・新世界レコード社が扱っていたため、次第に容易に入手できるようになっていた。しかし、[[2007年]]に同店が閉店したため、再び日本での輸入盤の入手が困難になっている。
 
なお、[[新星堂|オーマガトキ]]からアルバム『大地の歌』が発売されている。
 
[[日本放送協会|NHK]]では[[五木寛之]]をホストに「モスクワは忘れない〜吟遊詩人ヴィソツキーの歌」を放映した。[[読売テレビ]]『[[ダウンタウンDX]]』でも「私は嫌い」という曲が紹介された。
 
[[テレビ朝日]]『[[タモリ倶楽部]]』のコーナーである「[[空耳アワー]]」でもたびたび投稿されている。
:*1994年「どこへ行くのも五百キロ」より「日本の顔 日本の顔」
:*2008年「奴は戦闘から戻らなかった」より「[[鳥かご|鳥カゴ]] 逃げるのさ いずこへ」
:*2012年「オオカミ狩り」より「ちょっと[[郵便受け|ポスト]]は大きい」
:*2014年「山彦の銃殺」より「[[コロッケ]] [[トマト]] [[イクラ]] [[トマト]] [[イクラ]]」<ref>「イクラ」は[[ロシア語]]だが、実際の歌詞は「イクラ」ではなく「いびき」である。</ref>
 
[[1990年|1990]]から[[1991年|91年]]にかけてTV−CMに「暗闇で」が使われた。
 
== 代表作 ==
=== 歌曲 ===
* 奴は戦闘から戻らなかった
* オオカミ狩り
* 大地の歌
* 俺は[[マガダン]]に行ったぜ
* 07
* いまだ日は落ちず
* 恋歌
* 地球の歌
* 暗闇で(闇の彼方に)
 
=== アルバム(日本国内盤のみ) ===
* いまだ日は落ちず(日本ビクター)全18曲レコード
* 帰らぬ兵士の夢(音楽センター)全15曲オムニバスで3曲収録レコード
* ウラジーミル・ヴィソーツキイ/大地の歌(オーマガトキ)全25曲レコード&CD
 
=== 舞台 ===
* ハムレット
* [[桜の園]] - ロパーヒン役
* [[ガリレイ]]の生涯 - ガリレイ役
 
=== 映画 ===
* 『垂直線』
* 『二人の同志が戦っていた』
* 『小さな悲劇』
 
=== 評伝 ===
* マリナ・ヴラディ(著)[[吉本素子]](訳)『ヴィソツキー あるいは、さえぎられた歌』[[リブロポート]], 1992年, ISBN 4-8457-0720-9
 
== 日本語訳のカバー曲が含まれる作品 ==
* [[石井好子]]『石井好子リサイタル』オーマガトキ
* [[新井英一]]『オオカミ狩り ヴィソーツキイとパリの男たち』オーマガトキ
* [[渡辺歌子]]『さらば光、風、バラよ 渡辺歌子コンサート1987』オーマガトキ
 
== 参考文献 ==
* ECG編集室『ヨーロッパ・カルチャーガイド(3)ロシア『新生ロシアのいまどき生活』トラベルジャーナル, 1997年, ISBN 4-89559-403-3
* [[藤沢貴]](著)・[[小野理子]](著)・[[安岡春子]](著)『新版ロシア文学案内』岩波書店, 2000年, 4003500024
 
== 関連項目 ==
* [[山之内重美]]
* [[栗原小巻]] - ヴィソツキーとの共演計画があった。
* [[アレクサンドル・ミッタ]]
* [[アーラ・プガチョワ]]
* [[宮沢俊一]] - アルバム『ウラジーミル・ヴィソーツキイ/大地の歌』の訳詞・解説
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
{{commonscat|Vladimir Vysotsky}}
* [http://www.shinseido.co.jp/omagatoki/ オーマガトキ] {{ja icon}}
* [http://www.wysotsky.com/1041.htm オオカミ狩り] {{ja icon}}
 
{{DEFAULTSORT:ういそつきい うらしいみる}}
 
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