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{{出典の明記|date=2012年5月}}
{{国際化|date=2014年12月|[[日本]]}}
[[ファイル:Catherine de Medicis.jpg|thumb|right|200px|[[フランソワ・クルーエ]] 『カトリーヌ・ド・メディシス』<br />夫[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の死を受けてその後終生黒の[[喪服]](モーニング・クローズ)を着用するようになった[[フランス王国|フランス]]王妃[[カトリーヌ・ド・メディシス]]。その姿を写した[[肖像#肖像画|肖像画]]。[[1559年]]以降の作。]]
[[ファイル:Inconsolable grief.jpg|thumb|right|200px|[[イワン・クラムスコイ]] 『遣る瀬ない悲しみ』<br />喪に服す女性を描いた[[油絵|油彩画]]。[[1884年]]作。]]
'''喪'''(も、[[英語]]:[[wikt:en:mourning|mourning]])とは、身近な者や心を寄せる者、尊ぶべき者等<ref>[[親族]]である場合が基本であるが、崇敬する人物なども対象となる。また、[[権力者]]らによって強制される場合も少なくない。さらには、基本的に対象は人間であるが、必ずしもその限りではない。</ref>の[[死]]を受けて、それを[[悲しみ|悲しむ]]者が一定期間中を過ごすことになる、日常生活とは異なる[[儀礼]]的[[禁忌]]状態であり、[[人間]][[社会]]においておよそ普遍的な現象である。[[親族]]を亡くしたときに[[遺族]]が身を置く場合が最も一般的。
 
[[日本語]]では、喪の状態に身を置くことは、'''喪に服する'''、'''服喪'''(ふくも)、'''喪服'''(もふく)<ref>装いの「[[喪服]]」とは同字[[同音異義語|同音異義]]。</ref>、'''忌服'''(きぶく)、'''服忌'''(ぶっき)などと言い、また、喪の最中であることは、'''喪中'''(もちゅう)、'''服喪期間'''、'''忌服期間'''などと言う。
 
== 概説 ==
死別は悲しいことなので嬉しいことをしている場合ではないという心情的な理由のほかに、地域・[[文化]]によっては、古来[[日本]]がそうであるように、死は[[穢れ]]の一種であるとして、それに関与するものを一時的に地域社会の[[慶事]]より外すことによって穢れを避けるという意味合いを持つ場合もある。
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=== 社会的事象による喪 ===
最高為政者や最高権力者、社会的に崇敬を集めた人物などが死去した場合にも、服喪が行われ、それらは自発的もしくは強制的、あるいはその両面を持つ。また、大規模な[[災害]]や[[テロリズム]]などによって多数の死者が発生した場合、服喪期間を設けることがある。
 
== 喪中の装い ==
<!--※喪中の化粧などを編集上弾くことのないよう、節名は「喪服」としません。-->
喪に服する者の特別な[[衣類|衣服]]は[[葬儀]]のときと同じく'''[[喪服]]'''である(詳細は当該項目を参照のこと)。文化・地域・時代の別にかかわらず、多くの場合、喪服の基調色は[[黒]]であるが、[[白]]である場合も少ないとまでは言えない。また当然ながら、それ以外の色である場合や喪服そのものが文化的に存在しない場合もある。
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== 日本 ==
=== 喪中の禁忌事項 ===
死去後どのくらいのあいだ喪に服するか、また、どのようなことについて制限を与えるかということについては、死者との縁故関係や[[宗派]]によって大きく異なり、また、制限期間に関しても宗派や物事によって異なる。
 
「喪中」の期間は「忌」と「服」に分けられ、両方を合わせて「服忌」または「忌服」と言う。
 
「忌」は故人のための[[祈り]]に専念する期間であり、また、死の[[穢れ]]が身についている期間であるとされる。かつては「忌」の期間には家の中に篭り、穢れが他の者に移らないように外部との接触を絶っていた。[[現代 (時代区分)|現代]]では外部との接触を完全に絶つことはないが、「[[忌引]]」として仕事や学業を休む期間となっている。「忌」の期間は死者との縁故関係によって異なるが、一般的には最長で50日間(親、子、配偶者の場合)とされる。
 
「服」は故人への哀悼の気持ちを表す期間であり、最長で13か月(親、子、配偶者の場合)である。この期間は慶事への参加、慶事を執り行うことを控える。
 
下記に例として挙げる中にも[[肉食]]のように最短で1日以下で終わるものもあれば[[正月]]のように最長で1年近くになるケースも考えられる。なお、これらは現代における禁忌であり、過去における適用範囲はもっと広かった。
* [[正月]]([[年賀状]][喪中欠礼挨拶を行う]など)
* [[慶事]]への出席
* 慶事を執り行うこと
* [[殺生]]を行うこと
 
=== 喪中に関する社会対応 ===
喪中の禁忌のために、政治的や軍事的の重要な時期に事の趨勢を決定付ける現場に参画できないという事態が、[[日本の歴史]]の上ではしばしば起こった。例えば、[[平安時代|平安]]末期に[[左大臣]]として強権を振るった[[藤原頼長]]は、重要な政局が妻の服喪期間と不運にも重なってしまったがために宮中への出仕が許されず、彼を[[失脚]]させようとする藤原通憲(のちの[[信西]])らの策動に抗する機会を逸している(すでに事実上の失脚状態に追い込まれていたが、巻き返しの機会は服喪の慣習によって遠ざけられた)<ref>{{Cite book|和書 |author=[[橋本義彦]] |date=1988年2月 |title=藤原頼長 |edition=新装版 |series=人物叢書 |volume= |publisher=[[吉川弘文館]] |isbn=4-642-05109-0 ISBN-13 978-4-642-05109-5}}</ref>。
 
[[現代 (時代区分)|現代]]では、学校に通う[[在籍者 (学習者)|児童・生徒・学生]]や企業に勤務する会社員においては、しばしば喪中に当たる期間中に「忌引休暇」等と称する休暇が与えられることがある。ただし、このような休暇は[[親族#日本法における親族|1親等]]の肉親でも1週間を越えるケースは稀であり、ほとんどの場合は葬祭の準備、および、後片付けなどで消えることが多い。
 
=== 仏教寺院の忌中・喪中 ===
不幸があった家が仏教寺院の場合、'''「[[山門不幸]]」'''と呼ばれ、当該寺院では、門に墨字で「山門不幸」と書かれた木製立て札がかけられる。僧侶本人以外(寺族など)の寺院家族の不幸の場合は、宗派や地域によって一般家庭同様に、忌中の扱いと同様に扱うこともある。
 
== 脚注・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!--※情報のあるべき節-->
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== 参考文献 ==
※記述あるが望ましい節
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== 関連項目 ==
{{Wiktionary}}
{{Wiktionary|en:mourning}}
{{Commonscat|Mourning}}
* [[喪主]] / [[喪服]]
* [[諒闇]] / [[丁憂]]
* [[死]] / [[葬儀]]
 
== 外部リンク ==
* {{Anchor|ASS|}}<!--Association of Shinto Shrines-->{{Cite web |title=服忌について |url=http://www.jinjahoncho.or.jp/column/000025.html |work=(公式ウェブサイト)|publisher=[[神社本庁]] |accessdate=2012-05-14}}
* {{Anchor|SONA|}}<!--Shinto Online Network Association-->{{Cite web |title=親族の喪にあたる場合、参拝を慎む期間はどれくらいですか |url=http://jinja.jp/modules/chishiki/index.php?content_id=132 |work=神社と神道(公式ウェブサイト)|publisher=神社オンラインネットワーク連盟 |accessdate=2012-05-14}}
 
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[[Category:死に関する慣習]]