「根小屋城」の版間の差分

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[[烏川 (利根川水系)|烏川]]と[[鏑川]]に挟まれた丘陵帯のうち、北方向に張り出した丘陵の先端に位置する山城である。標高は180mほどで南北に280m、東西250mに広がる。また南の尾根続きの南東丘陵部には[[山名城]]が存在する。
 
築城は[[永禄]]11年([[1568年]])または同13年([[1570年]])とされる[[永禄]]11年([[1568年]])に[[甲斐国]]の[[武田信玄]]が駿河国・今川氏の領国への侵攻すると([[駿河侵攻を行い]])武田氏と[[相模国]]の[[北条氏康]]との間で[[甲相同盟]]が解消され崩壊す。これにより武田氏と[[後北条氏]]の領国が接する上野は係争地となり、武田氏は後北条氏への備えとして山名城・鷹ノ巣(茶臼山城)の間に根小屋城をかれ城した。築城された当初は[[狼煙台]]としての機能が主であったという信玄

根小屋城よりは武田家臣・[[信濃国]][[佐久郡]][[望月城]]主の望月甚八郎、および伴野助十郎、仁科加賀守信盛が守将となっている(『上野誌』、『[[関八州古戦録|関東古戦録]]』)。
 
[[武田氏]]の勢力が[[上野国]]から退いたのちの消息は不明となった。廃城時期も不詳である。