「レオン・ワルラス」の版間の差分

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== 生涯 ==
ワルラスは1834年、フランスの[[エヴルー]]に生まれた。[[エコール・ポリテクニーク]]を受験するものの、最初は受験要件を満たせず、翌年は数学で失敗し、入学できなかった。やむなく[[パリ国立高等鉱業学校]]に入学したが、当時のこの学校の実学指向の強さを嫌い、文学に傾倒し、[[アンリ・ド・サン=シモン|サンシモン主義]]者と交わったりして二年留年し、中退した。
 
その後、父の[[オーギュスト・ワルラス]]の説得を受け入れて、経済学研究を始めた。経済雑誌記者、鉄道会社の事務員等職を転々とし、レオン・セー(J.ーB. Sayの孫、後財務大臣などを務める)と、協同組合割引銀行を設立しその理事となる。この事業は、ワルラスの反対にも拘わらず、消費協同組合に過剰融資を行い、行き詰まって倒産した。事後処理のために管財人の銀行に雇われ、その間にローザンヌで開かれた租税会議の論文コンクールに応募し、4位に入っている(この時の1位は[[ピエール・ジョゼフ・プルードン|プルードン]])。